吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

黒い墓石に手向ける花はまだ固い蕾の折れた桜の枝

 

 死んだ人がくたばったその場に同一規格の黒い墓石となり埋められる。モノリスに似たその墓石は幅3メートル高さ2メートルくらいで1メートルくらいが土に埋まっている。厚みは2センチの黒い大理石。D国からの移民のものがほとんどで、あとはどちらの国のものかわからないものも雑に扱われていた。死にそうになっているものは、公園に死に場を求めてやってきて、死ぬので花見シーズンを待つ、井の頭公園には黒い墓石が目立った。このことで、移民と住民の間に摩擦が生じているのはたしかで、差別が増長され、石飛礫を子どもたちが互いに投げ合うようになり、一触即発である。公園へ抜ける石階段のスチールの手すりに等間隔でまだ蕾の桜の樹の枝が括り付けてあるのも嫌がらせの一環だと思われているが、それは間違いで、強風に煽られて折れた桜がまだ咲かぬまま、廃棄され、ゴミとして処理されるのがかわいそうだ、もったいないと思った町の不良どもがひとつひとつを束ねて飾ったものだった。それは黒い墓石に直接、お供えしたいものだったが、気恥ずかしさから、どこかかけ違い、おかしくなっていた。そもそものところ、差別なんてなかった。誰かの誤解が広まったものだった。井の頭公園にはいくつもの出店が並び、甘酒がふるまわれており、子どもたちは元気に走り回っている。3月だというのにまだ真冬のような寒さの今日だったが日差しはあたたかだった。

 近くの公民館では集会が開かれていた。関西でわたしもよく知る人が死んだのだという。その人と生前交流のあった演出家がいま、関西に行ったのだと、また関係者のふたりの女性がわたしたちに報告してくれた。今日はここで公演があるのだが、公演は休演にして、これから会いに行くのだという。そうかわたしたちはここに観劇にきたのだ。客としてやってきたわたしたちは舞台に上げられ、報告する関係者を見下ろしながらその報告を聞いている。訃報のニュースはまだ公にされていない。なにがほんとうなのか嘘なのかわからないし、狐につままれたような気分だ。早々に解散。黒い墓石と開かぬ蕾のコントラストを見ながらの帰り道。駅前の路面で古本が売られていた。それはある、歌手の本なのだが80年代の絶定期に出されたコレクター本でこの世に50冊しかないと言われる私家本だった。一見、新しく状態も良いように見えたが手に取ってみると表紙からぼろぼろと崩れていった。A2サイズの大きな本だ。わたしは買うのを諦めて駅へ急ぐ。改札をとおりぬけながら、どんな墓石もどんな花も誰かを思っていることには変わりなく、墓石と墓石はあの世との中継点になっていて、そこから死んだ者にはいつでもアクセスできるのだから、墓石が同じ規格で建立されていることは死は誰にでも平等に不公平にいつか確実に訪れることを意味していて、むしろ、個性をなくして画一化することで、あの世で死んだことへの無念さを誰もが持たぬようにするための手段なのだろうと、オベリスクになったわたしはそう思うのだった。

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 という夢を見た。頭が疲れてるぅ〜!そして猫が重い。

だらだら書く日記。無為日記。

 調子に乗っていたんだ。がんばりすぎて、予定を詰め込みすぎて、TO DOをこなせる自分にもっといける、いけるというような感じになり、バーストした。このせめぎ合いと精神力で肉体的疲労を無視し、MPが突然、0になったところで、気がつくというアホみたいな状態を治したい。スケジュール管理ができないというわけなのだが、もっとひどかったときはほんとうにひどくて、何もせずにただ部屋をウロウロしているだけみたいになったりしていたのと、ものごととものごとをひとつひとつ組み立てて考えることができなくなったりしていたので、実はかなりマシになってきているともいえる。イケてた先週までの自分の多幸感とこなせてる感で3倍くらい仕事がすすんでいたし、あのままイケていたらやりたいことは9割は進めていただろう。どうもスケジュール管理とか事務的なことをやる頭とクリエイティブな頭、右脳と左脳なんだか、わからないがこれの切り替えがうまくいかない。感動したり、感情が動いた後にただ人に連絡するとかそういうことが処理できなくなってしまう。待つのにいつまで経っても慣れない。なぜこんなにも待つことが下手くそなのだろうか。こうなってから楽に浮上できる裏技を何個か獲得しないといけないんだけど、緑茶と梅干しが良い気がしてます。正直、体力がないからダメなんだけど。やっぱり、筋トレしないといけない。プロテインはすでに買ってある。無為に過ごす時間というものは大切なわけで人間、全力疾走し続けていたら息切れもしますよ。という話でよいのではないか。しかし、イベントの宣伝とかまともにやっていたら、ほんとうにすごい時間食う。そのせいで肝心のイベントに向けての準備に時間がとれなくなり悩ましい気持ちになり、自分を責めまくる無駄な時間が到来。お客さんが入らないということに関しては敏感であり、人が入らなかった時の申し訳なさとかよくわかっているつもりだ。出演者が宣伝して、内容仕切ってっていうのを一人でやっているとほんとうに挫けるので、そういうことを共有できたり、先回りしてやってくれるスタッフがいないとやっぱきっついなーというのはいま、思っているところで、そう考えると「You酔ば〜」はコンパクトにまとまっている。無料のイベントだし、自分が酒を飲みにいっているみたいなところもあって、集客を考えなくていいというのが気軽るさの秘訣なわけだけれど。

 とにかく今、自分はイベントやライブに関して、記録を撮るということ、それを動画にして、Youtubeにアップするということの必要性を感じている。アーカイブの必要性は前からも言われていたが、いまは、アーカイブにしない、ネットに残さないこと、流してしまうこと、失態や失敗も垂れ流してしまうほうに主流のように思う。大きな内輪の中で参照できないものや出来事がネットのなかで増えすぎている。内容を理解しないコピー&ペーストと熟考しない、子どもの言葉ばかりが大きな声になっている。いつからインターネットは子どものものになったのか。けっこう前なきがする。それをTwitterのせいだと言って毛嫌いするのもどうかと思うし、何が正しいのか何が間違っているのか判別がつかず、自分の気にくわないものはアンチだとかクソリプだとかで切り捨てていいみたいな脊髄反射的な反応をするのはバカだという感覚はもはや通用しないんじゃないのかとか思ったりする。そういう駄菓子みたいな考え方をたくさん見聞きしているうちに筋力が衰え体力が失われていくので、Youtubeばかり見ているとバカになる。でも、バカにならないとやりきれない現実もある。メルモのキャンディー寄こせよ。大人になったり子どもになったり、どんな年齢にもなりたい。おもーい責任とかプレッシャーとかストレスとか感じたくないんだ。好きなことだけしていたいんだ。

文句や権利を主張することばかり一人前で
依存心ばっかり育っちゃって 自分を正当化することばっかり 頭が回って…
プライドも羞恥心もない あるのは自己顕示欲ばかり…
どんな才能があるのか知らないけど 才能を活かした仕事がしたいなら
おもーい責任もリスクも 背負うことになるわよ
そんなの好きじゃないって言ったってね 丁度いい仕事?
わたしは あなたのために花屋をやってるわけじゃ ありません
あなたにとっては たかがバイトでも わたしには大マジな仕事なの
丁度いい仕事なんてない!
ふざけんなってゆーの オタンコナス

(『アマリリス岩館真理子) 

 2003年のこのブログのエントリー数は2083なのである。人の紹介とか何も考えない書き散らしっぷりとか、向こう見ずで傷つくことを恐れない無敵感がある。しかし、今はどうだ。臆病ではなく億劫になっている。怠惰になっている。というように、何かをはじめられないこと、エンジンをすぐに入れられないことで、自分を責めるのがデフォルトになっているのではないか。自信がありすぎるのも自信がなさすぎるのも極端だとダメなんだけれど。もう最高に晴れた正月みたいな空みたいな気分になって、すっきりと目覚めたい。あああああ、まじ、バイオハザード7やりたい。スカッとさわやかコーカコーラみたいな気分で合法的に人殺ししたい。人とは本来、残虐なものなんだよ。バイオハザード7の良いところはすべての恐怖を入れようとしているところ。狂ってしまうこと、愛する人が変わってしまうこと、家族という血縁の束縛から逃れられないこと、マインドコーントロールされること、生理的に気持ちの悪いもの、虫や汚物を映しているところ、画面をやや黄色味を強くして、臭気を感じさせるようにしているところなど、最低に嫌な気分にさせてくれる。あの廃屋の沼の近くの匂いを想像してうっとりする。饐えたカビの腐った血の匂い。そしてさまざまな液体の澱んだ匂い。最低と最高は同意語なので振り切れば振り切るほど気持ちがいい。ファミパンパパことジャックなんかもう、かわいいし、かっこいいとしか思えなくなっている。嫌悪感は許容量に達すると愛おしさに変わるときがある。だから一度、自分を徹底的に嫌ってみたら満足するんじゃないのかな。わたしはイーサンやミアでもゾイでもなく、ジャックになって娘をボコボコに殴りながら謝りたい。エブリンの殺せという命令を聞きながら。自分が狂って聞こえる幻聴なのか、それとも操られているのか判然としない中で、どこかスカッとした気分になっている自分を見つけて、戦慄したいのだ。きっと不安や悲しみはスカッと吹き飛び、何もかもどうでもよくなるだろう。クヨクヨしていてもはじまらない。せめて、血糖値のあがらない唯一のコカコーラが飲みたい。いや、あまり飲みたくないです。バイオハザード7がやりたいだけです。

吉田アミ、か、大谷能生の公式ホームページを開設

amiyoshio.tumblr.com

 

今後の最新情報はこちらにまとめていきますのでよろしくお願いします。

吉田アミ作曲作品『Voises』

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『文鯨』

第2号<特集:叫びを翻訳すること> 

 

『文鯨』第2号<特集:叫びを翻訳すること>
-定価800円(+送料全国一律220円)
-2017年2月20日発刊
-H212×W140 B5変形
-頁:132p(カラー口絵 28p)
-ISBN:9784990899509 C0495

<装画>
-表紙:菅野静香
-「文鯨」題字:岩井悠

<目次>
・楠田ひかり「断片から衣服をたどってーsuzuki takayuki marriageー」【批評】
・嶌村吉祥丸「between」【作品】
・城李門「葉月あるいは明くる日のこと」【作品】
-特集:叫びを翻訳すること
・山本浩貴+h 「草のあいだから」【作品】
・柳澤田実「死のない生活」【批評】
・荻野洋一「被害者とは誰か?」【批評】
・渡部純「<さけび>が<語り>にかわるとき」【批評】
吉田アミ「Voices」【作品】
・水沢なお「墨流し」【作品】
・上田由至「プロレタリアと分裂症」【作品】
・石川初/伊藤隼平「ささやかれたランドスケープ」【批評】
・三浦翔「わたしはどこから見ている−抜け落ちた足元に目を向けよ−」【批評】
-リレーエッセイ
・丹治史彦「言のはざまを泳ぐ」

 

今回掲載された『Voices』は2016年12月10日に安野太郎の企画するイベントにて、初演されました。

amiyoshida.hatenablog.com

 

Music After Tomorrowのサイトにいろいろ載ってます。

 

◼︎『文鯨』編集長の城李門によるレビュー

ゾンビはそこにいるか

ーある喫茶店に浮かぶ、あらかじめ用意された気配を巡ってー
テキスト 城 李門

http://music-after-tomorrow.com/review.html

 

◼︎webマガジン『artscape』にも、美学・聴覚文化研究の金子智太郎によるレポート記事が掲載

artscape.jp

 

◼︎パフォーマンスの抜粋音源

soundcloud.com

日常からの逃避とわたしと世界の約束

 母さん、逃避です! 逃避だよ!全員集合!!!とおいとおひとおひとおひ! 熱を帯びた皮膚の略ですか。頭皮の当否ですか。問う日ですか。それとも全部ですか。ひりつくような皮膚のただれはアスファルトの足裏よりも熱くはなかった。冬に夏のことを考えてもまったく夏のことを思い出せずにいます。この数ヶ月後にあほみたいに暑くなって、空とかアホみたいに青くなって、今だって青いけれど、冬の空気のきれいななかでの透明な青さと夏の頭の悪い青さは透明度がぜんぜんちがって、クレヨンで塗りつぶした青と、プレパラートに透かして見上げた空の青さが違うように、空気の質だって色の要素だと思うのだ。まあ、わたしがわちゃわちゃしている理由は火をみるよりも明らかでプレッシャーからのプレッシャーへの逃避であり、目の前のやるべきこと、TO DOに書き連ねながら、華麗にスルーしていることが原因なわけで、まあこういう態度や気分は生きていてなんどもなんども味わっているし、そうした焦燥感は喉元過ぎればなんとやらであり、過ぎ去ったあとになんかいい思い出になっていたりするし、そうやって、誰かに期待され、求められている証拠なのだから、それはそれでうれしいとか、誰かを困らせたり、待たせたりすることで、自分の価値を推し量ったりしてるんじゃないのか、とか、同時に思ったり、意地の悪い自分の性分に気づいたり、いやそうじゃなくて、必死でもこれしかできない、何かを試そうとかしていないんだけどなあ、とか言い訳じみた言葉がいくつも浮かびながら誤魔化すように日記を書いており、それはまったくなんの解決にもならないのはわかっているし、でも勝手に手がものすごいスピードでキーボードを叩いており、これはわたしが考えて書いているのか誰かに書かされているのかそれともそれは同時に起こっていることなのかわからなくなっていて、わからないまま、理解だけはしている状態がいまだ。わたしはこのあと近所の魚屋に行き、きのうから、水の中にどぶーん、って浸ってる、昆布の出汁を使って、ていねいに掃除をした白子を水から煮立たせ、自ら煮立たせ、水と己は鏡か、反響した自分の姿を水面に見るのか、煮立った自分を見直せるのか、わからないまま台所に立ち尽くして、豆腐も入れて、白鍋(白子と豆腐を塩で食べる)をつつきながら、焼酎をぐいと呑み干す未来が見えている。箸の上でつるつるとすべる白いすべらかななにか。羊の脳味噌にも似ている白い子の熱いなにか。口の中でぱちんとはじけて、広がるクリーミー。わたしは冬になればこればかり食べていたい。白はことしのラッキーカラーらしいですよ。わたしはそんな星占いを信じでみるほど、気持ちが穏やかだった。それは今月のはじめのはなし。それからずっと、きもちはきもちわるいくらいに穏やかだ。世界中が全部敵だと思っていたわたしが拠り所にしていたのはたぶん、ホワイトソース。食べられない、口に入れたくないよーって、思っても食べなければいけない、食べなければ、世界はわたしを受け入れてくれないのだーーーーって、脅されて口の中にぶち込まれた白い飯やら茶色いおかずやらで、わたしは黙って嘔吐した。次の瞬間、記憶は飛んでいて、幼稚園の水飲み場でわたしの足を洗っている、手ばかりを覚えていて、もう、無理矢理食べさしたりしないからと、わたしに謝っているような声を、たぶん聞いたのだと思う。そのときの空が何色だったのか今のわたしは思い出せずにいる。

 グラタンが好物だと言った。それはマカロニとホワイトソースと玉ねぎと鶏肉とチーズで、それはすべて火をとおしさえすれば、白くなる。クリィーミーマミの優ちゃんの好物はグラタンだと書いてあったが、ほかの本では違うと書いてあった。けっきょくは、クレープが好きなのか、グラタンが好きなのか、気持ちは揺れたままだ。お父さんとお母さんがクレープ屋だから、バターシュガーが好きだといったのか。いや、まて、まてよ? バターシュガーって、それもすべてが白色だ。焦げたクレープ生地を白といわず、茶色だと言い切るのなら間違いかもしれないが、わたしは透明と白色に焦がれている。クレープをよく食べていたのは小中学生の頃で、名古屋の地下街を歩き、そのまま歩ききると右側にレコード屋があった先に、噴水があって、その先に、矢場町の出口があった気がする。階段を上れば、パルコで。GOMESをもらうためだけにもそこには立ち寄らなければならなかった。父親と約束したのはそこから少し歩く。ジャズ喫茶YURIから一番近い、地下にある喫茶店で、いまはもう、寿やだか、山本屋本店の味噌煮込みうどん屋らしかった。ロッテリアが角にあったことなんて、みんな忘れている。そこには、小学三年生のわたしが封印されているし、母親のどうすればよかったのかわからないまま、歩き続け、誰にも相談せず、そのことで、突拍子もない、奇異な行動がなぞられた場所でもあった。わたしはその角のレコード屋で、町蔵のレコードに一瞥しながら、有頂天のCDを買ったのだが、クラフトワークのドイツ盤のレコードは高かったけれど、いまみたいにお酒や食べ物に使うお金を節約して、キャラメル一つでふつか間とか、電車賃節約で4時間歩くとか、メロンパンやクリームパンで、1日終えて、でも、お腹なんか空かなかったし、なにか食べたいとも思った記憶がまるでない。だから、わたしは不健康に痩せていたし、貧血で倒れてしまっていたんだ。それがかっこいいみたいに思っていたし。あれは中二女子病だ。他人からみたらわたしは語らなかったし、言葉にもしなかったし、誰ともつるまなかったし、親密にもならなかった。親密よりも一投速で、超えられる関係は違う次元で、反芻してみても、思い返してみても、いまでもずっと他人みたいで、なんであんなことができたのか、それが自分だったのか、他人が撮影したビデオテープみたいで、再生していても、そこに自分が生きている感じがまったくしない。あれは前世で、わたしのよくない行いはもうとうに砕け散っているのだろうと思うけれど、生々しく思い出す、中学生や小学生や幼稚園のわたしに欲情した体温。でも、田舎で、自転車の後ろに乗せられて何処までも連れて行ってくれた。あの、お兄さんはいま、どうしているのかなとか、思う。寸でのところで、諦めて手をつないだ別れの夕暮れ。それらは今のわたしではなく、かつてのわたしであって、その過去の自分は修正されたわたしである。いまのわたしが巻き戻して、もう一度繰り返す、わたしのすがたは、わたしではないわたしの成れの果てであり、それは、再生可能な、繰り返し誰かに見られることを良しとした自分の、認められたかったわたしのすがただろう。わたしがわたしに成りにいくのにはいくつもの困難が待ち構えている。おいしいごはん。おいしい食事。白く、プレパラートの中で、わたしはそれに名前をつけたい。

月刊Youtuber批評 「You酎ばーとらのまき」4巻目

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2/17 20時〜 ON AIR!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

www.youtube.com

 

toranoana-nomoo.com

第4巻 Youtuberって何ですか?

Youtubeに動画をアップしたら誰もがみんなYoutuber? 漠然とある、Youtuberの定義。何をもってYoutuberと呼ぶのか。YoutuberになりたくてYoutubeをはじめた人と
そうでない人、お金儲けたい、人気者になりたい、映像の発表の場、企業や地方のPR動画にMV、自分の日常を淡々と切り取るだけの人……。              
 今回は制作者の思惑をざっくりまとめながら、いわゆるYoutuberではない人たちのヤバイ動画をまったり紹介!また、『バイオハザード7』の実況動画比べコーナーや今月のYoutube界ニュース、これはヒドイ!動画の紹介もするよ!好きなことで生きていけ! 

 

第4回目の動画がアップされました!バイオハザード7やゲーム実況についてけっこう話しています。ノイズがちょっとのっていたり、画像が乱れている模様です。

www.youtube.com

 

第3回目の動画がアップされました!


月刊Youtuber批評 「You酎ばーとらのまき」

 

詳細は

toranoana-nomoo.com

ジャズメルカ!!!!!!!!!! vol.3

http://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/date/2017/02/10
http://animerca.blog117.fc2.com/blog-entry-65.html

 

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OPEN 18:30 / START 19:30
前売り¥2500/当日¥3000(要1オーダー500円以上)
※前売券はe+にて1/13(金)10時〜発売!!
ジャズメルカ!!!!!!!!!! vol.3
ファミリーマート店頭でもご購入頂けます】

出演:山本精一(ミュージシャン)、山本寛(アニメ監督)
MC:吉田アミ(音楽家)、高瀬司(Merca主宰)
JAZZ×アニメ=ジャズメルカ!!!!!!!!!!! のスピンオフ企画が始動!!!!
今回は「アニメと軽音楽・吹奏楽」を大特集!
ゲストには、 羅針盤ROVOなど多岐にわたるユニットで活躍中のミュージシ ャンにして、日常系アニメ好きでも知られる山本精一氏と、 アニメの演奏表現においてエポックメイキングだった伝説の「 ライブアライブ」の演出を手がけ、吹奏楽経験者として小説『 アインザッツ』を上梓してもいるアニメ監督の山本寛氏というW山 本氏をお迎えし、アニメと音楽を独自の切り口で語り倒します!!

※要1オーダー(500円以上)
※営利目的のチケットの転売は固くお断り致します。転売チケットは入場をお断りする場合もありますのでご注意ください。
※撮影・録音・録画などは禁止とさせていただきます。また、開場時の席取りはご遠慮ください。

 

 

3年ぶりとなる伝説の音楽×アニメのイベントが帰ってきた!というわけでひさびさにやりますよー。よろしくお願いします!