吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

恋とはどういうものかしら?

http://book.magazine.co.jp/detail.jsp?seizoBumonCd=SS&seizoGosu=1398
大人になって仕事で言葉を追いかけているとき、何かヒントになるんじゃあないかと思い、昔買った「中川比佐子のチャームブック」(思えばコレが私のメイク初体験)を会社に持ってきて仕事仲間と二人で見た。そのコーナーで「中川比佐子と岡崎京子のおしゃれ図鑑」とゆーのがあり、おしゃれアイディアを岡崎京子がわかりやすくイラスト入りで紹介していた。
もう、そのネームセンスが卓越!ちょっと、正気では書けないような狂気じみた乙女チックで軽く目眩が。
例えば・・・リビエラの情熱娘風。白いシャツをホットにお茶目にセクシーに。キュートなおへそにも日光浴させてあげましょう。とか
NYの株式娘風。あくまでクールに。汗なんかかかないわよう。なんて風情で。COOL COOL COOLってわけ。とか
下着は女の子のヒミツの花園。誰にも見せないからこそ(もちろん愛しのダーリンは別よ) おたのしみはたっぷりってわけ。
と、来たもんだ。天才かもしれない。それまで微塵も思わなかったがふと、つぶやいてしまったよ、私は。
そもそも、私の青春時代というのはちょうど岡崎京子の最盛期と、どんぴしゃり重なる。私が宝島を買えば彼女は宝島に描いていたし、CUTIEを買えばそこには彼女のマンガが載っていたし、パルコでGOMESをもらえば彼女はエッセイマンガを連載したし、ギャラリーに行けばそこには現代美術と言い張った彼女の絵が掲げてあったし、私がエロ本を買えばやっぱりそこでベティ・ペイジのマンガを彼女が描くし、私がムーンライダースを聴けば彼女も当然のようにムーンライダースの歌詞からインスパイアされたというマンガを描くし、イベントに行けば彼女はDJ、映画館へ行けばフライヤーにコメントがあった(ひなぎく)し、TVを見ればCMに、PV見れば出演し、雑誌を見れば挿し絵があって、というように、どこまでも岡崎京子は追いかけてきた。どこまでもどこまでも追いかけてきた。振り切れることはなく、いつも意識しなければならない存在ではあった。好きだなんて思わなかったけど。

事故が起きる一寸前に、私は岡崎京子の連載本数と平均ページ数、カラー原稿、表紙になってる雑誌の数、イラストの本数など計算し、大体の原稿料を想像して、彼女の年収を考えた(いくらだったか忘れたけど、ページ単価は9000円で計算してたように思う)。それで、あまりの仕事量の多さに、ふと、「死に急いでるなあ」と、思ったのだ。

追いかけていたのは私(達)の方かも知れない。
追いかけて事故に遭わせたのはあの時代のすべての雰囲気のせいかもしれない。世界はどんずまりだと、知りながらも否定し、熱に浮かれて、ふわふわわくわく新しいモノをぎらぎらさがしていた、あの80年代後半から90年代のあの、雰囲気。

そんなことを少し思い出しながら、このしょっぱい作品を読んだ。