吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

第六回 杉浦茂タン

92歳で天寿をまっとうされた杉浦茂タン!

杉浦茂(すぎうら・しげる)
908年東京本郷区湯島に医師の三男として生まれました。中学卒業後洋画を志し帝展(1930年)への入選。1932年<のらくろ>の作者田河水泡に入門、漫画家を真剣に志しはじめる。
同年、東京朝日新聞紙上において《どうも近ごろ物騒でいけねぇ》でデビュ−。
1955年から逝去する2000年までのあいだ三鷹市井の頭に居住して制作活動を続けた。いわば三鷹のヒーロー。ジブリ美術館を作る前にしげるだろう!と思うのは私だけか。

杉浦茂ってどんな人!?
http://www.sanada.or.jp/contents/mystery4/mys4.html

三鷹美術館「なんじゃらほい」展
http://mitaka.jpn.org/gallery/044/

杉浦茂の世界
http://momiji.sakura.ne.jp/~werdna/sugiura/

無心の瞳でさらりと毒舌。奇妙なキャラがぐりゃぐにゃ動き。意味がまったくわからないストーリー展開。ナンセンス。そしてユニークなセリフ。リスペクターの面々も超豪華だったりする杉浦茂タン。私のなかのでしげると言えば「杉浦」と「水木」。三鷹の茂、調布のしげる。二人とも家が近いのも何かどこか妖怪的なつながりを感じずにはをれない。
三鷹の展覧会では初期中期後期と年代順に並べられており、作風や絵の変化が楽しめた。最後の数年で描かれた作品はよろよろよぼよぼのペンタッチ。それでも絵を描き続けた書き続けていた茂タン。絵がうまかっただけにあらがうことの出来ない老いのために線がうまく描けなくなっていくのはどんな気持だったのであろう。それでも描いた茂タン。しかもそれがオモシロイという茂タン。老いていけば老いて行くほど洗練されている・・・老人力とはかくたるものかと。
死んでから気が付いたんだけど杉浦茂タンの死んだ時、スゴク近くに住んでいた。多分、茂タンの魂が極楽浄土へするりと昇り逝くのを見たかも知れない。天才とはこういう人のことを言うのだろう。
三鷹市ジブリ美術館などにうつつを抜かす前に杉浦茂美術館を今すぐ、建築すべきである。ジブリでいっぱいの町よりも茂タンキャラでハアハアすべきだ。
 
萌え度   ☆☆
神クラス度 ☆☆☆☆☆
不条理度  ☆☆☆☆☆