吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

不思議ちゃん/矢沢あいの漫画/そして注目されない男不思議ちゃん

http://artifact-jp.com/mt/archives/200311/fushigichan.html
細分化されていた不思議ちゃんネタが総括されておりますので、ここからリンクを辿ればだいたいの経緯はわかります。もう、このネタはいい加減、引きづりたくなかったのですが…。

自分の場合、視点を退いていって、どこまでが自分の主観なのかを見極めたいからです。そこでわかった自分の主観をストレートに発表する気はあまりないので、客観視したことばかり書くことになるという。あと、メディア上で自分語りばかりすると、大塚ギチ氏のように「自分語りうぜえ!」といわれる可能性が高いので、そういうことを書かない習性がついたというのもあります。それに、メディアやネットで発表している文章だけが、その人の考えすべてじゃないですよね。

なんだか大人に優しく悟されている気分になりましたよ、私は。アハハ。
私は表現されているものの視点(客観なのか主観なのか)が非常に気になります。そのバランスが保たれている文章が読んでいて心地良いのですが、最近の自分の文を読み返してみるとやたらと、私、私と書き出したり、個人的にはなどといちいち断って書く傾向がみえて、内心、気にしていたのですが、それを言い当てられたように思い、ドキリとしました。
でも、はてなクィーンっていうのは正直、勘弁して欲しいなあと思います。確実に、いじめにあいます。お願いこれ以上、私を辱しめないで!悲痛な叫びが虚しくこだまします。

ゴスロリも不思議ちゃんも客観視という部分がごっそり削げ落ちてしまった少女は共同幻想を抱いて傷を舐めあうような不思議彼氏ではなく、理知的で頭の良い男とつき合っていれば少しは大人になれたのでしょうね。お互い自分のことしか考えていなさすぎ。不毛な関係ですなあ。まあ、単に男運が悪いだけでしょうが。
君はとってもブスだけど〜♪と軽快にツッコんでくれる男や友達と付き合った方が楽しいと思います。ツッコむものはちんこだけじゃないし。

「私は私の王国の王女であり民である」というのは大島弓子のマンガのモノローグですが、そもそも少女というのは自分で作った物語の中に住んでいるファンタジーの住人なのです。その国に入国するためには少女と同じ価値観や趣味を持っていなくてはなりません。自分の物語を壊さないで、役割を演じてくれる人でなければ拒絶されてしまう。彼女が認めた存在しか、生きていないのと同じなのです。
だけど、成長しなくてはならないという気持ちも強くある彼女らは一見、物腰の柔らかな王子様を待っていて、世界を壊される事を望んでいるのでしょう。それが「自己発見」であり、少女漫画家がこぞってとりあげるモチーフの一つでもあります。
さて、あんまり書くと自分の知識、教養のなさが露呈されるのでここらへんで止めときます。「自分が」とか、「私が」と書いて、感情的に書いているのだというポーズをするのは自分の文に自信がないからなのかも知れないですね。客観的に書けるほど知らない分野に関して、逃げ道を作っている私は、自分をそんなふうに解釈しています。