吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ネットでの儀礼的無関心の可能性3

ちょっと前に書いた自分の文を引っ張り出してきて考え直そうかと思ってたんだけど、今、読んでいたら使えねー!書き方も乱暴だし、いろいろと知ったことで考え方が変わってきたように思う。特にこの間やった「何故、人は個人サイトをやるのか?」とかで。
たかだか、2ヶ月前の文だというのにすでに現在の自分とは違和感があるわけで、短い時間で心境の変化があったことがうかがえる。こういうときに日記はありがたい。確固として変わらない考えというのもあるけれど、情報が少なすぎてこねくりまわして考えるまでにも至らないようなとりとめもない問題はとりとめのない整理されてない状態でも現在、自分でわかる範囲だけでも書いておくと、あとあと参照できて便利だ。
数学の方程式も応えを出す過程を書くことで理解が生まれ、どこが問題なのか明確になったりするものだ。その時の自分ではわからなかった問題もあとで見返してみればとるにたりないことだったりして、簡単に応えが導き出せることもある。やっぱメモは私には必要だなあとしみじみ噛みしめてみた。
話は戻る。
先日、ウラワザをこっそり伝授!なんてのたまいたが、その後、これに関しての言及があっちこっちでなされていて*1、のリンク先に目を通しているうちに、書くことがまたもやなくなってしまった。と、いいつつ長文だ。垂れ流すぞ。とりとめもなく。
答えはそれぞれにあるわけで、それぞれがそれぞれの信じる道理に従ってやればいい。と思う。リンクを張って何が悪いの!?とキレればそりゃあどうかと思うが、同じ行為をしたとしても「このサイトはすごく面白いから是非、みんなにも読んでもらいたい」というキモチから貼られたのであれば、貼られた方も納得いくのではないだろうか。あ、そうじゃない場合もあるか。まあ、あるけど、それはおいておいて、キモチ、キモチの問題ですよ!
今から私は美味しんぼの京極さんモードで書かせていただく。わからない人は放っておく。
「せやからな、インターネットかていうても結局は人と人とのつきあいなんや。現実のそれと変わらへんのや。画面の向こうはおんのは何も感じへん機械やのうて、自分と同じ心と心を持った人間なんや。そのことを忘れて相手のことを思いやれへんゆうのんはどっかおかしいんとちゃいますか?人にされて嫌なことはせぇへんゆうのが最低限のルールやおまへんか?わてはそう思いますのや。日本人は本来、礼節を重んじる民族や。それがあんた、最近の若者は西洋食ばっかり喰うとるせいか知らんが、すっかりバテレンにかぶれてしまっとる。なんや、むこうの個人主義がカッコイイなんて言いよる若者が増えてきとるらしいが、わてはそうは思わんで。こないな狭い島国で主義や主張を声高にしたところで、見苦しいっちゅうねん。わてみたいに声のでかいモンが大きな顔してまかり通るような世の中になってもうたらおもろくないんやないのんか?自己中心的な気ィの強いやつや頭のええやつばっかりが得するようになってもうたら、弱肉強食。思いやりもなんもない殺伐とした世界になってまう。まさに世は世紀末や!あー恐ろしゅうてわてはかないまへん!」
むちゃくちゃな大阪弁だ。しかも、その人格、何?

とりあえず、私が経験して言えることは…

  • リンクを張るのに理由を持っていればトラブルがあった時に対処しやすいのだと思う。
  • リンクを貼る、という行為は相手に「リンクを貼った」ということを知らせる機能もあるということを念頭においておいても損はない。それによる波及効果を貼る方は意識するべき。
  • 貼る時は貼るサイトの主旨や考えを理解してから貼るべき。わからない時は無闇に貼らない。少し、頭を冷やしてから貼る。

という感じだろうか。
大手のサイトやアクセス数の多いところは考えているように思うし、晒す、とか相手を貶める!とかいうマイナスの意識が高いところは感じが悪いので人も遠ざかっていくものだ。まあ、良かれと思ってしたことが裏目に出る、ということもままあることも確かですが。それは空気が読めない人だというわけですが。
ちなみに私がリンクを躊躇するのはテキストサイトと言われるサイトと、個人的な日記を書いているサイトだ(例外もあるけど)。ウラワザってのは、そのサイトを見続けて相手の人となりを理解して、貼っていいのか、悪いを判断する、ということ。いっそ、気になるなら思い切って、メールして訊いてみるというのも手だろう。
そういった連絡手段がまったくないサイトはリンクなんか貼られたくないと思っているに違いないので、そういうサイトはやめておくようにしている。
まあ、これも私の考えた目安なので役に立たないだろうし、当てはまらないことも多いだろう。大体、私がそれを守ってないという話もある。それは言わない約束だ。
ただ、私は何か相手のサイトに危害を及ぼしたりした場合、閉鎖された方も寝覚めが悪いことは確かなので、私はちょっと考えるほうです。というか気にしちゃいますよ。
そして、私のように気にしている人が多いということらしいので、貼られちゃいたい人は言及表明リンクフリー表明そういう雰囲気作りを心がけるといいと思った。
また、逆の人は貼られたくないよ!オーラを発することが自分を守る手段じゃよ、とも思った。インターネットの8割は優しさで出来ている*2というわけで、別にお互い憎悪を持って接しているわけでもないのだから、気持ちよく過ごせるようにちょっとくらいの努力はしといても損はない。まあ、いくらそんなことを自分が心がけていてもいろんな人がいるから意味ねーってこともありますけどね。デリカシーも必要ですが簡単に人に影響されて流されない心の強さとデリカシーのなさも必要ですよ。そのバランスが見極めにくいのでいまだに私も暗中模索です。でも、努力はしていきたいのでいろいろ考えるきっかけになった、「儀礼的無関心」というスローガンちゅうんですかね?この言葉の発見は興味深かったです。

関連:
その1http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20031203#1070445457
その2http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20031204#1070508437

*1:詳しくは「羊堂本舗 ちょき: 儀礼的無関心反応リンク集」 http://sheepman.parfait.ne.jp/wiki/%B5%B7%CE%E9%C5%AA%CC%B5%B4%D8%BF%B4%C8%BF%B1%FE%A5%EA%A5%F3%A5%AF%BD%B8/をご覧あれ。

*2:アニ