吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

散々、ウィーンを満喫し、非常にリラックスできた。宇波君とボケとツッコミ、ノリツッコミと同年代ならではのばかばかしいやりとりも私的には自分をとりもどすことができる儀式であったといえよう。難しそうに書くな。ようするに私はややこしいことやストレスに極端に弱い人間だと言うことだ。98パーセントがくだらなく2%以下で音楽のことを考えている。リキュールよりは濃厚に。天使の分け前ほどはない。それくらいのパーセンテージがお似合いだ。シリアスになったり、それしかないとしがみつくと途端にダメだ。プレッシャーに弱いのか。何も考えない無風状態、ストレスゼロでなくては音楽なんて真剣にできないよ。できてもつらいよ。楽しくないよ。泣いちゃうよ。と思った。孤高にとはほど遠い、俗な人間がここにいる。
音楽も生活も趣味も恋も仕事もぜんぶうまくいきたい。ヴァイラ、か?私は。
そんな感じで非常にリラックスして、演奏を楽しむことが出来た。余裕があったせいなのかどうか、わからないがこの日の演奏は個人的にすごくおもしろく、新しい発見がいろいろあった。
杉本ギターカルテット相変わらず、匠の技。よく切れる名刀のようないい仕事ぶり。うなる以外にわからずじまい。ただただ圧巻していればよい。
今までのフェスの印象をぶちやぶった感があったのは内橋さん、ヘルゲ、フランツのトリオ。なんか、ただただ楽しいという気持ちをおもいおこさせた。あ、そうだ、音楽って楽しかったんだっけ!?とか、私は思うやんちゃな演奏。一音一音に力を込め丁寧に丁寧に音を重ねるだけが音楽じゃあない。破綻。そうだ、破綻だよ。破綻。雑でスピード感のあるとはいえだだくさではなく、繊細な音のぶつかり。よくある即興演奏だとくくってしまっては損をしているよ、あなた。お互いがお互いの音をまったくきいていなくてお互いの音をすごく聴いているようなそれでいてすべてがパーフェクトではなく不完全な相反するふたつの価値がぶつかっているようで、私は大いにコーフンした。後ろをふりかえると、としまるさんも大笑いだった。一曲一曲が短いのも、そういえばその手があったじゃないと、思わず指をパチンとやりたい気分。そういう爽快な気分。笑える音。春一番のような一陣の新鮮な空気が駆け抜けた。
その後の大友さん、タケシのセットもすごくよくて大コーフンだ。大友さんはちょっと首を傾げていたようだったけど、私的にはかなりシビレぎみであった。特にタケシの雑なんだけど丁寧なプレイが好みでもっと観ていたかった。タケシとバスラッチとかのセットも面白そうだし、タケシは日本に来てヤングたちとあいまみれるべきだと思った。私とは音、合わなさそうだけど(泣)、あ、カリドルならイケソウダ!やりてー!!あー、ほんといろいろ紹介したいなあと思ったよ。英語がしゃべれなくてやきもきしちゃう!
彼の音は感覚的に近しい。なんというか、音の途中でスグに飽きて投げ出すような音に対する執着のなさが肌に合う感じ。豊かな、平和な時代を生きる若者的な軽々しく超越してしまうそんな感じ。僕らは平坦な戦場か。それは岡崎京子の引用。90年代の子供たち幻想か。
で、オオトリは私と秋山さん、宇波くん、ボリス、マッティンのセット。はじまる前に全員で「エンジョイしましょう!」とか言ってやんの私。なんだ、それは(笑)。そんなん今まで生きてて、言ったことなかったし!!!
でも、ほんとうにリラックスして一番、自分らしい演奏を出来たと思った。ウー私はリラックスできないとだめですぅ。緊張するとおなかいたくなっちゃうYO!ボリスもキャップもいわゆるオモシロ変わった音を出すというんではなく、けっこう、ふっつーにフレーズを弾いていてそれがふっつーにだだくさで破綻していてわけわかんなくて意味不明なのが良かった。私も気負わず楽しむことができた。宇波君はふだん、PA通してやるような音じゃあないんだけど、これはこれで良かったように思った。それでマッティンがドラムを縦横無尽にたたくのだからオモシロかった。ああ、自然っていいなーと自然史博物館の教訓が生かされたのであった。