吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

深夜

ライブが終わっていよいよ最終打ち上げである。悔いのないようにいろいろな人と話したいが英語ができずにいつものようににやにやするだけで実にふがいない。私は英語を話すときと日本語を話すときではキャラが変わるのでイヤだ、英語を話しているときは本当に頭の悪い人のようだ、と宇波君に言うと、「あははは」とまったく否定などしない乾いた笑いで返された。せめて「そんなことないよ!」とでも言って欲しかったのか。友達とは手厳しいものだ。
話の流れでクリストフとジャケやコンセプトの話。話してみていろいろと行き違いがあったことが発覚。それを埋めるようにとしまるさんがフォローしてくださり、ほんとうに助かった。やはり私の物言いがきつすぎてクリストフは萎縮してしまったようだ。でも、萎縮しながらなんて一緒に作品なんか作れないじゃないか!言いたいことはその場で言えよ!私も言うけど、オマエも意見があるなら言え!という話なんだけど、まあ、こういうのって性格の問題もあるし。日本語ならその点フォローして、相手のことを察することができたと思うのだけど、やはり母国語ではないわけで、相手のことがわからない。そのわからないが、誤解を生み不信感を募らせるという悪循環を引き起こす。相手にしたって、英語は母国語ではないわけで(ジャーマンだからさぁ)それで一生懸命お互い歩み寄ろうとしているところを全否定しかしないんじゃあ、よくないよ。と反省。でも、オマエも言いたいことは言えとは言いましたけどね。で、クリストフの音、なんだけど私はなんか真似してきてキモイなあーと思ってたんですがクリストフに言わせるとそれは彼のスタイルで、彼はハーモニーを奏でたいという気持があるらしい。私はそれがどうにもこそばゆくて気持悪いんだけど、スタイルと言われるとなー。あとで、もう一度、冷静になって第三者的に聴き直して考え直そうと思った。録音物というのはちょっと寝かせてから聴くと、違うモノだし。特に人と一緒に作っている場合、そういうことが多い気がする。
あーしかし、今回は反省ばっかりしてますなぁ。デモ、日本にいるときには当たり前すぎて気が付かなかったことが多かった。デリカシーがどんどんなくなっている感じがした。私はそういう自分を甘やかして慢心したくはないな、と思った。今の自分の音に関して自信があるから人前で演奏しているのだけど、その一方で自分にいつも批判の目を向ける、客観視という部分を忘れたらおしまいだなあ、と思った。また、多くの人から浴びせられる批判に対して、耳を塞ぎ、自分に盲信していくのはヤバイなあと思う。もちろん人の意見に左右される、というのは愚かしいことであるが、自分に間違いがあったときは素直に反省し、次回よりより良くできるように工夫した方が自分にとっていい気がする。これが私の二面性のあるところだと思うし、矛盾していると思われる要因であろう。しかし、客観と主観が混じり合うことなく交互に訪れる精神性というのが紛れもなく27年間親しんだ自分自身でその性格ばっかりは今さら直せない。私が尊敬する水木しげるだって同じだヨ!別にそれが悪いことだとは思わない。むしろそれでいいと思うからこの性格は直らないのだろう。
私は恥をかいていきたいと思うし、そこから学んでいきたいと思う。ぶかっこうでみっともないやり方しかできないのだから、完璧主義にはなれない無様ななれ果てで十分だ。あこがれますけどね、完璧な人には。でも、そんな人ってほんとうにいるのかな。きっとその人は神様なのだろう。

と、いうわけで、今回も、いろいろな人に迷惑をかけ、お世話になった。感謝しても、しきれない。これからも地味にがんばるので、地味に見守っていただければ、と思います。謙虚な姿勢で装いも新たに。
どうぞ、よろしくお願いします。