吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

元旦は起きた時から

ずーっとテレビ番組にツッコミを入れている。間髪いれずにツッコミ続けている。こんなにもテレビを集中してみたのは何年ぶりであろうか。今はトリビアの特番を見ている。
連続してフジテレビを見て力の限り初笑いに力をいれ、あれ、なんでなんだかわかりませんが、お笑いを見ているとやたらと、お笑い芸人にダメだししたくなるのはなんでだ。すごい勢いで「うまい!」とか「間の取りかたがなー」とか言ってるんでやんの。そんで、「波田陽区は来年ぜってーいねぇ」とか「笑い飯つまらん!」とか「だいたひかるテキストサイトっぽいネタすぎて音で聞くとつまらんし、なんとなく不愉快」とか「そもそもお笑いは総合芸術で声が聞き取りづらいやつは全員やる価値なし。聞かせておくれよ、お前のハーモニー。インプロ力を!」とか「ってことはゲイシャガールズっのラップって理に叶ってるよな〜」とかちょう漠然と平気で言ってんでやんの。それまでちっともさっぱり、お笑いなんて見てなかったくせに。まったく興味ないくせに。なんだそれ。みたいな話になりつつもこのツッコミを止められないのは正月の番組すべてがそこはかとないユルーい適当さに満ち満ちているからだ。正月番組にやたらと出てくる正月芸人の筆頭は間違いなく、鶴瓶であると思う。この中途半端な退屈さが鶴瓶にはぴったりであって、それ以上でもそれ以下でもない。大体、私は朝からずーっと不機嫌である。いつからか無くなってしまった、ビックスリーが放映されなかったからだ。毎回毎回、正月のたびにイライラしている。なんで、タモリ、さんま、たけしのゴルフをやるだけのあの番組、ビックスリーがやらないのか。関根勤がたけしが謹慎中には代わりにでるくらいのやる気ぶりがあったのに。今となってはなしのつぶてだ。やる気あんのか。私は毎回、英語禁止ホールで笑いたかったのに。死ぬまでずーっと棺おけの中まで持ってきたかったのに。くだらねえ。くだらなすぎる。それくらいどうでもいい。
2004年と2005年の境界線は円盤で迎えた。
カウントダウンで樽入りの日本酒を割って、客に振舞われ、ハッピーニューイヤーでこの世はもうじきお終いだノーリターンで野坂だ。ECDのライブが観れたのも思わぬ誤算でむちゃくちゃうれしかった。円盤はぎゅうぎゅう詰めでごきげんだったが酸欠で死にそうになったので途中退場。あのあとどれくらい盛り上がったのだろうと思うと損をしたなーと漠然と思う。でも、年を跨いであのようなキチガイイベントが見れたのは今年の明暗を分ける。
そう、それで、さっき、引いたおみくじでは見事、大吉を引き当て、揚々たる未来絵図を描く。大吉なんて何十年ぶりに引き当てたのか。今までの苦労が実って花開く年になるそうでそれを大きく祈って願う。まあ、私は幼少のみぎり、大吉を引き当てたその年に両親が離婚したりしてわやくちゃな一年を過ぎしたりわりと平気であるので頭ごなしに信じるほど純真ではないがすべての人にとってわりとすばらしくたのしくおもしろい一年であれば良いと正月ばかりは無垢な気持ちで祈ることができるくらいの性悪さでもって、生きている。生き続けている。生き長らえている。