吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

子供の頃は空中浮遊できた

子供の頃の話。

私は15センチ〜30センチだけ空中に浮くことができた。この感覚は磁石のプラスとマイナスの反応に似ている。飛ぶ、というよりも、浮くというのに近い感覚だ。
家の裏の裏。中学校に入る前に交通事故にあって植物人間になったけど中学三年生のときに、目を覚ましたT君の住んでいる新興住宅の立ち並ぶ一角から一直線に牛乳屋の前まで30メートルくらいの間、スーと浮くことが出来た。飛べると確信して疑いを少しでも持つとフニャっと磁力は弱まって地面に足が着いてしまうから、眉間の上の部分に力を入れて飛べるに決まっているというふうな気分を高める。その際は浮くこと以外を想像しない。ただ、無心に浮くに決まってると思い込ませる。
外で浮くには力がいる。ふだんは二階のベッドをいったりきたりして浮く練習をしていた。母親のベッドから父親のベッドまでの数メートル。スーッと真直ぐ。うまくいくと父親のベッドを飛び越して、押入れの襖に激突した。飛ぶ瞬間に助走は少ししかしない。飛ぼうと思えば飛べるギリギリの距離。飛べる力がないのは知っている。だから超能力に頼るのだ。年上のお姉さんたちがうちにきて平気でその場を行ったり来たりジャンプしたが私は超能力を使わないと飛び越せない。でも、この超能力は不思議なことに母親のベッドから父親のベッドまでの間しか、飛び越せなくってその逆は無理なのだ。いつも失敗していた。

重要なことに気が付いた。
母親側のベッドには窓があったのだ。あのまま飛び越えたら私は窓を超えてどこかに飛んでいってしまったのかもしれない不安があった。

それから数年して中学校になったころ、年上の友達にこの話をしたら私もそうだったと同意された。私は少し誇らしかった。多分、子供は誰でも飛ぼうと思えば飛べるのだ。自転車に乗りながらったって、5センチは浮くことができた。最後に飛べなくなった瞬間のことも覚えている。飛べるわけがない、と思ったのだ。思った途端に飛べなくなったけど、飛べるわけがないのだから、飛べないことで落胆などしなかった。飛べたとしても数十センチだけ、浮くだけだし日常になんの得があるわけでもない。ただ、あの浮遊感がもう二度と有り得ないのか、と思うと、少しだけもったいないようなさみしいような複雑な気持ちになるだけだ。