吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

『80年代のこどもたち』

 1976年生龍年の幼年期とは、いわずもがな80年代である。
 80年代が古くさくダサい時代だと感じる一方、どうしようもないなつかしさがあるとしたらそれは幼年期に巧みに刷り込まれた影響だろう。それはCM音楽だったり、こども向け番組のBGMだったり、ゲームだったりといろいろに80年代的要素が仕組まれていたからだ。
 知らず知らずのうちに汚染(とは失敬な)されているのだ、我々は。
 で、漠然と感じたのが、おとなとこどものボーダーラインが曖昧になってきたのが、うちらのこども時代?なんではないだろーか。具体的に書くとガキのために作ったものが大人にもウケるようになったのだ。
 ガキはガキの文化を大人は大人の文化とそれまでは明確に別れていたわけだが、ブームという強制リセット機能がなくなった(例えば60年代→70年代はあまりにも違うし)結果、だらだら受け継いでいる感がある。
 「子供の/ため・だまし」がいつのまにか「子供から大人まで」に裾野を広げた故に80年代以降の大人と子供はあまり違いがないのではないか。
 とはいえ「体験済」の免疫がついた大人と初体験の子供ではハマり度の違いがあるだろう。
 それでもまーだいたいのひとびとの中では新しいものなんて何もないし望んでなどいないというムードは一貫しているのではないか。
 そう、−オリジナルだと訴えるものは鬱陶しいし、作り出す余地はない…というような感覚が連綿と続き、これはこれだ!という確証はなにもない・意味はないという諦めが。
 ぼくらが生まれ育ったのは時代は多分、そうゆう時代です。
 さて、そうゆう時代に育まれながら成長したこどもたちは今…何を考え、何かに興味を持つのだろうか…という大義名分はひとまず置いといて「ねえ、みんな最近どうしてる?」というのがいかにもな76年式である。