吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

恋愛は匿名ですべし

バトンにしてしまえばスマートに訊きたいこと訊き出したいことを無理くり引き出せるという要素で大人気沸騰中のバトン界隈ですが、今、mixiで人の日記見てたらラブバトンなるものを発見。ゲームだったりマンガだったり音楽だったりする趣味のバトンに関してはちっとも嫌な気持ちにはならなかったけれども、このラブバトンには心底寒気がした。これは不幸の手紙そのものではないか。公開セクハラですよ。びっくりした。私が想像する以上にこの世の中は恋愛を語りたいあいのりみたいな人々もいるらしいですがああいうのってものすごく、苦手だ。否定はしないけど。趣味の問題。エチケットペーパーひいておく。

何故苦手なのかを考えてみたい。

そもそも私は公の日記で色恋沙汰だけは書きたくないというかそんな当事者しかも2人という完全個人問題を書いても面白くないだろうそれを公開するなんてどんな開放的なプレイでしょうかと呆れてキャッ!となってしまう初心な処女の魂を持っているので大人のスポーツセックスみたいな話と泥仕合の恋愛模様はフィクションならいいけどって、いや、それも嫌いか!ともかく、書くことで誰か相手を積極的に傷つける、そしてその様を公開するということが気持悪いと思うので恋愛沙汰の日記などは極力見ないようにしてしまうし、興味がわかない。公開することであなたは何を得ようと思っているのか。公開処刑と同じでしょ?理由は一つ、呪いじゃないか。とか考え込んでしまう。後悔して公開の呪い発動!それはそれで効果増大!なるほど、それってなんだかすごい怨念を感じる。逃げられなくしてしまうのか。過去を囲って束縛するのか。怖い!怖すぎる!ホラーだ!ホラー!!!強すぎる想い。漏れ出す想い。染み出す想い。残留思念で発狂寸前。恋は盲目。あばたもエクボ。恋は曲者。愛も変わらず。愛は変わらず?

普遍の愛!不変の愛!そんなものは存在しない。愛は幻想だ。岸田秀が言ってたから間違いない。

第一、恋愛って趣味ですか。ああ、そうか、趣味だという人もいるわけか。その価値観はわからないし、わかりたくもない。わかりたくないから、わからないのだろう。脚色したりエンターテーメントできない恋話なんてうなずくことはできるけど、それ以外に当事者ではない他人は訊く理由が見つからない。いたたまれなくなって走り出して逃げ出したくなってくる。

決まった対象がある愛ならその相手にだけ愛が伝わればいい。

そういうもんじゃないんだろうか。そういうもんじゃなかったっけ、恋愛ってと首をひねる。
私の知らないうちに「見せ恋愛」略して「見せ愛」なるジャンルが公布されたのか。どんな相手とどんな風に愛を語るか、それが肝心要。いい恋愛が女力を上げる。恋愛語りができる私は恋愛美人。
過去の誰かを罵倒して今の私の選択を正当化する。過去の私より今の私が不幸なんて許せない。認めたくない。だから、私は恋愛を語るのです。恋愛を語って自分を正当化したいのです。私は間違っていない。過去に愛したことを否定しなくては次にはいけない?恋愛の中心で愛を叫ぶのかい。ギョエー!ギョワー!ギャー!ギャース!って、アンタ、恐竜?

前につきあっていた&結婚していた人を悪くいう人は嫌いだ。恋愛の話を他人に吹聴する人も苦手だ。特に知り合いや友達の話など極力訊きたくない。無駄な知識だ。相手をそういうふうに見てしまうのがイヤだから。だから訊いたとしても私はその人への価値は変えない。変えないように努力する。知らないふりをするしとぼけるだろう。恋愛で価値が変わることはない。あなたの価値は変わらない。どうだっていいじゃないか。どうだっていいはずだろう。恋愛ごときに何を耄碌しておるのかね。

おお、
恋と変は似てますね。

私は恋より愛がいい。
愛のことは語りたいけれど恋は語りたくはない。
恋の話はもったいないから誰にもしてやらない。
教えてあげない。