吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

--こうした現実の各々は唯一無二であり、本当に

言葉で言い表そうとすれば、一つ一つが全く固有で、二度と使えない名辞だけでできた言語が必要になろう。それは言語とはいいがたい言葉だ。
つまり、まるで世界の二重写しでって、翻案でも象徴でもない。従って、現実に見る、本来的な意味で見るというのは、まさに精神錯乱に陥るのと同じことなのである。
名辞を喪失し、混沌の状態に落ちこむからだ。それだけではない。その混沌の状態、言語以前の世界に還ることを意味するのだ。
(中略)
その現実は、詩的作業を施し、言語を空無化して初めて見えてくる。それと同時に、その生の現実を把えなくては、人間は人間ではなく、言語も言語とは言えない。

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出現と消滅とが同時に起こる場所以外の何ものでもない。
場所は場所以外の何も持たないだろう。

オクタビオ・パス『大いなる文法学者の猿』(清水徳男訳、新潮社《創造の小径》)より