吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

自分の言葉がまずあって

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20050828/1125159032
で書いたことを引用された
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20050908/1126173971
の文章とかを読んで心密かにうにゃーという気分になっていた私ですがライブなどが忙しく目立った反応もしなかったんですけど、iduruさんが

http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050910
大元の吉田アミさんの文章を虚心に読む限りでは、吉田さんは「愛する」を恋愛関係としてではなく、この私が世界を受け容れるか否かという次元の、より普遍的で包括的なものとして語っています。

と書いてくれていたので、ああ、伝わるところには伝わってるからとりあえず、いいや!と思ってたんですけど、
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20050910
とか読んでいてまた、うにゃーという気分になってモヤモヤしてたら、
http://d.hatena.ne.jp/iduru/20050911
があって、むにゃーという気分になってたんだけど、
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20050911/1126423697
を読んで、おおーと思ったのであった。

私はこういうふうに愛を知る勇気を持つ人を笑う人を軽蔑する。
テラヤマアニ氏はすごく潔い。これはカッコイイ。iduruさんもきちんと向き合う気があって反応している。そしてそれに答える。私はこういうコミュニケーションはいいと思う。そしてちょっと、インターネットを好きになる。こんなことが起きるならインターネットは悪くない。興味がある、好きだから、自分が共感できる問題だから、無関係じゃない、だから、反応する。そういうリアクションはいい。ただ、右ならえでなんとなくリアクションしておけばいいみたいな分熊特有の病はキモチワルイけど、ちゃんと自分の言葉を相手に伝えようとしている姿は美しい。自分に嘘などついてまで得られる幸福って何でしょうか。そんなモノには興味がない。知ったかぶりして相手を勝手に自分の価値観に押し込めてすれ違って誤解したってちゃんと、理解しあえる、そして、そういうふうなところまで付き合う覚悟がある、これが真の意味のモテなんですよ。どんなに無様でかっこわるくったって、そういう自分をさらけ出さなくては、何かに責任を押しつけて逃げ回っていては多分、他人と良好なコミュニケーションなんて取れないだろうし、そういうわずらわしい表面上のコミュニケーションなら取るのは無駄。とりあえず、仮定でもいい。相手を信じる、そこからしかコミュニケーションってできない。騙されてもいい、とりあえず、信じよう。騙すよりも騙される方がいいと思えたらいい。そう思えたら幸せですね。そうです、幸せですよ。不幸よりは幸せのほうがずっといい。

安全な場所から石を投げて人を蔑むことはカッコワルイ。こういう当たり前の価値観が流布することを希望する。当たり前の当然のこと。こんなことは新しくなくても古くてもなんだって何度でも言えばいい。何度だって言えばいい。

って、とりあえず、書きましたがもうちょっとちゃんと書きたいなあ。文章ってむずかしいのう。