吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

時間泥棒と無意識の嫉妬

書きたいことがあり過ぎる。
ああ、早くまとめないと忘れてしまう!時間が足りない!

ところで、私は「他人よりも得していたい」という人が苦手だ。他人よりも得したいという人がその場にいると遠慮して譲ってしまう傾向が。だいたいにおいてそうまでして手に入れたいモノというのが他人とかぶることが少ないのでそれくらいどうってこともない。私よりもそれが欲しい人の手に行くのならそれで良いと思う。なので譲ってやった遠慮してあげたという気持ちにもならない。どうでもいい興味のないものをほんとうに好きな人が手に入れて良かったねーと。
小学生の時にいた女子グループの中でリーダー的存在の活発な子がいたが彼女はなんでも欲しがったし、何でも一番になりたがっていた。私はそうやって矢面に立ちたいなら立てばいいと思って気にも留めなかった。
私は彼女の興味のなさそうなモノを熱心に研究していた。幸福だった。しかし、ある時、それバレた。ああ、めんどうなことになったなと思った。案の定、彼女はそれも欲しがった。それまでそれに対して興味がなく、価値を見いだせなかったくせにだ。
これと同じような現象は大人になってもたびたび起こって私を非道く冷静にさせる。何故、彼女たちは誰よりもほんのちょっとだけ得していたいのか?訊いても帰ってくるこたえは感覚的だったり矛盾していたり。言動の一致がない移り気な我が儘プリンセス。私は彼女たちの心理を奇妙に思うし、長らくわからなかった。
しばらくして、水木しげるを読んでいて気が付いたのだが、これは無意識の嫉妬のせいだとわかった。私はそれを好ましく思わなかったのでなるべく、何かわからないけれども相手に対して攻撃的な感情になった時に、心のうちに反芻してみる。その心の動きになった理由は「嫉妬」からではないのかと。
だいたいにおいてこれは当てはまった。当てはまると私は落ち着く。嫉妬だったら仕方がない。こういうくだらない感情にまかせて他人を蹴落とすような足をひっぱるようなことはやめたい。口に出して相手に伝えると気持ちはすぐに収まる。「いいなあ!うらやましい!」自分の感情に蓋をしておくとすぐに澱んで腐るので、その場で吐き出してしまった方が精神衛生上いいのだ。
また、この無意識の嫉妬というのは身近なコミュニティの中でしか発動しない。自分に手の届く範囲で、自分よりも少しだけ優れていると自分が思える相手に対して抱くのが特徴なのだ。自分の回りにいる誰かなら攻撃可能だ。ターゲットは身近に置くべきではない。私は私の手に届かない誰かに深く嫉妬する方を選ぶ。どうせなら、目標は高くあげておいた方が誰かを傷つける心配はないのだ。誰かを傷つけてまで何かをなしえると手痛いしっぺ返しに会う。あまりにも身近な人間を人間的に貶めるその必要性が見つからない。バカにする見下す嘲笑の行為は醜いものだ。
そのエネルギーは有効活用して自分に自信を持つために使った方が賢明だし、根本的な解決に少しでも近づけるだろう。自分に自信が持てれば、嫉妬心はだいぶん軽減される。嫉妬の煉火で焼かれたくなければ自信を持つしかないだろう。自信を持つには好きなことをするしかないだろう。好きなことがなければ見つけるしかないだろう。見つけるためには努力しなければならないだろう。努力に時間を割くしかないだろう。時間があればだいたいのことは解決する。時間が欲しい。誰か私の時間を盗んだ時間泥棒をつかまえてください。