吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

フィクションを書きたいと思った

これは私のことである。

直接的な言葉は相手を追い詰めたり傷つける。特にいっぱいいっぱいの時には。
聞く耳を持てるときよりももっと残酷でひどい状況の時、私は物語の中に逃げたのだ。他人の誰かの言葉を訊くことは時にはどうしようもない現実を無条件に向かい合わせられる。傷ついている時に強い暴力的な言葉はさらに追い討ちをかけるだろう。そこから逃げ出して、自分を守ることの何が悪いのだろうか? それは生きる望みを繋げるために必要な手段だ。その手段さえも奪うような暴力的だと思える言葉には耳を傾けなくてもいい。幾らそれが私のためだという善意であったって、私にとってはそれは大きなお世話だし、必要がない。自分で発見してことでもなく、自分で理解できないことを進言されたって、無駄。それをしてあなたは気持ちがいいでしょうねえ。上から私を見下して、洗脳したいのでしょうか。同じになれと同じ価値観になれと迫ってくるようで私は怖くて仕方がない。

生きている人間は私を傷つける。そして、その現実に私は耐えられない。私はナイフを持っている。ナイフが私を走らせる。バナナブレッドのプディングの衣良の心境だ。どうして、あなたは私の言う、この難解なモノローグを解いて私を安心させて救ってはくれぬのだろうか。私の体はボロボロでここから一歩も動けないほど病んでしまった。中途半端な助けで追い討ちをかけるようなひどい言葉はもう訊きたくない。見たくない。お願いだから私にかまわないで。私に私の世界の選択肢を与えてください。

怖いから、私はナイフを振り回す。そして、相手を傷つけるだろう。
それでも、傷ついてでも私を抱きしめてくれる腕を求めなかったことはない。

この難解な少女の心理を誰がわかってくれるのだろうか。
私の望みは彼女の幸せだ。
私は自分とは無関係である物語の人物に自分を重ねることで追体験し、癒されるという経験をしてきた。物語が彼女のそして彼女であるともいえる自分への救いになることを、祈る。

それが私の望みなのです。

不幸になればいいと思う人なんていないし、これから先に一人も要らない。