吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

生理的に嫌いな人っているかちら。

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060418/1145333094
でダラダラと日記仕立てで書いた件でブクマで

(´・ω・`) 『人を嫌いになるのは相手のことを知らなすぎるからだ。』 それでも生理的にダメっていう場合もあるんじゃないかちら。

というコメントをいただいたので、この問題、ちょっと考えてみようと思う。このコメントかわいですよね。なんかほっこりしました。この書き方がもし「バッカじゃないの?この人、正気?生理的にダメなものはダメだろ。 」と書いてあったら一瞬、ムカついたかもしれません。同じ意図でも書き方ひとつでイメージが変わる日本語マジック。相手に伝えたいのが目的なら無駄な感情を荒げるのは賢いやり方ではありませんね。と、コメントで学ぶ私であった。

 さて、話を戻そう。

 まず、この話は誰にでも取れる汎用的な話ではなく、私の個人的な意見になっちゃいます。だって、私は「生理的に嫌いなものなんてない」のですよ。むしろそんなものを探しているくらいだ。この話、前に書いたメジャーな食べ物が嫌いになりたい - 日日≒日キにつながりますが、嫌いなものってないんですよね。嫌いなものを嫌いだ嫌いだと言っている時間を好きなものを好きだ好きだと言ってる時間にしたいというまことに合理的な考えがあるからです。生理的にダメってものに対して動物的カンを持ってして知らないうちに全力でわりと無視しているのかも知れません。ただ、その考えは嫌だ嫌いだ絶対にヤダというものはありますが、一部分のみに発動するもので、その人の全人格が嫌いとかその人の全容姿が嫌いとかにはならない。嫌いになるほど相手を知らないので評価を「保留」した状態になる。インターネッ子のヤングさんはおうおうにしてこの判断を性急に求めすぎる傾向があると感じるのですが、いっこ「わからない」とか「保留」というフォルダを「好き」や「嫌い」のほかに作っとくとずいぶん楽ですし、大きな間違えをおこしにくくなる/恥をかきにくくなるというリスク管理の点でも有効です。オススメ。つーかそもそもインターネットなんて保留空間だと思ったんですが事実や情報に関しては保留したり責任とらなかったりするくせに感情の部分になると途端に保留を忘れるがちになりやすい。即断するのは/脊髄反射するのは既に自分の中で咀嚼し、理解したものであれば可能ですが、そうでない新しい意見であったり、知らなかったことであったり、今まで自分で考え及ばなかったことであるなら、怖くてできないものです。イイカゲンに対応すればカンタンに信用を失いますからね。それは避けたいですし、すすんで間違っていることを広めてもいいことなんてないですからね。バカは違うところで思う存分、発揮したいです。自分の中で矛盾を抱えると精神衛生上良くないですから、常に思想と行動は共にあるように調節していかないと自分が自分ではないような感じがまとわりついてきてキモチワルくなっちゃう。

 材料や情報が少ないけれど、判断しなければならないとき、わからない部分は想像で補う<推理する>しかないわけですが、そうなってくると負の感情を持っている人はどうしてもわからない部分にネガティブな感情を読み取ってしまいがち。推理小説なり推理マンガなり推理ゲームをやる人には感覚的にわかると思うのですが名探偵は洞察力に優れて、物的証拠を集めて、現場に行って、調べて、犯人の感情を想像して、そしてやっと真実にたどり着くわけです。そこまでしないと犯人<他人>はもちろん、動機なんてわからない。どうせなら名探偵を目指したいものですね。だったらすることは決まっているでしょう。と、なるわけです。少なくとも私は。

 私はなんか気に入らない合わない変だおかしいと思った場合、その理由がなんなにかを明確にしないと不安になることがあります。わざわざ理由を知る必要はないそこまでの情熱がないという場合は無視しますが、無視できない場合、すでに発見してしまったり、知ってしまった場合は理由を探るということが必要になってくる。わからないと四六時中そのことを考えてしまうので、自分なりに納得したいのです。これは自己満足でもあるわけですが、私はそういうふうにしていたほうが後悔は少ないのでそうしています。気になった理由が個人的な意見の違いであれば、仕方がないと諦めることもできますし、許すこともできます。しかし、そうでなかった場合はどうでしょう。議論しますか? 友達になりますか? まあ、選択はいろいろあるでしょう。
 
 いろいろあるんだから熟慮して自分がその時点で正しい、と思えるまで調べてそしてその材料から必死で考えて考えて考えて答えを選択しましょう。もちろん、選択して間違っていてもいいんです。そこで、熟慮して正しいと思ったという過程が必要。そこで、自分の浅はかさを思い知ることが重要。恥をかく勇気がなくては成長はできません。それに苦労しなければ自分の意見に自信なんて持てないものです。断言なんて怖くてできない。そうなってくるとAともBともCとも取れるダブルミーニングどころかメタな視点を持ち出して逃げの手段に使ってしまいます。言い訳しながら何かするのはカッコワルイ。それっぽいものなんて要らない。はじめからそれが欲しいと願う。私はそういうのを頭が良いとは思わない。むしろ、カッコワルイと思うのでしたくないのです。これは私の美学なのです。

<関係あるかも>嫌いというよりは許せない食べ物 - 日日≒日キ