吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

「はじめから描かせてもみてくれないのは、おれの天才を認めてないのだ」という目つきには閉口してしまう。

 時々、下手くそな絵とカラの頭とをもって、マンガ志望者が現れる。
 「しばらくお勤めでもしながらゆっくりやったらどうです」というと、奇妙な顔をする。彼らは説明しても、下手くそな絵とタリナイ頭がわからないらしい。
 絵は努力次第でうまくなるし、カラの頭も一生懸命つめればつまるから心配ないが、「はじめから描かせてもみてくれないのは、おれの天才を認めてないのだ」という目つきには閉口してしまう。それに、ちょっと誰かに似た絵を描けるようになると「もう俺はカケル」と早合点してしまうから困るのだ。十年位かけてじっくりやろうという心構えなんか見たくても持ち合わせていない。二、三年のうちに名声とお金を手中に収めようという安易な気持だから、ボクは彼等をケイベツするのだ。

「なまけものになりたい」水木しげる

追記> ブクマのコメントで指摘があったので補足しておくと、水木しげるは戦争で南の島に行き、左手を失っている。人生の多くを犠牲にしたのだ。まともに喰えるようになったのは40歳を過ぎてからと自伝にも書かれている。そして、誰にも理解されなくても好きなことを見つけ、続けていくことの重要をことあるごとに言っている。
荒俣宏も「好きなことは最低10年は続けなさい」というが私もその意見に賛同している。
 継続は力なり!
 興味を持って継続していける好きなことを見つける努力は惜しまないほうが人生楽しいみたいだ。
 水木しげるはいいこと言いまくってるのでもし、興味が出てきたらエッセイとか気軽に読めるのでオススメ。今、出てる「団塊パンチ!」にもインタビュー記事があるので、読んでみてはと提案。

追記2>
ブクマでリスクを考えるとできない…という意見がありました。水木しげるもここで書いてますが「しばらくお勤めでもしながらゆっくりやったらどうです」だと思います。よく2足のわらじはダメだとか言いますがこれはどっちが転んでもいいように保険をかける姿勢だとどっちも真剣にできないからでしょう。だから、どっちも真剣にやるべきです。真剣にやりながらも生活のために妥協するのも必要ヨ。人間金がないと心がすさみます。貧しい心だとやりたいこともやれなくなります。

ただ、この場合、問題なのは好きなものを見つけるまでの価値基準を若いうちに築けるかどうかが鍵になってくると思います。タルホは生きるにしても死ぬにしても25歳までに決断せよと言いましたが、それは自分なりの価値観、信念のようなものを形成せよということだと思います。
何かを選択するためには自分の中で価値基準がないと選べませんからね。

そのためにどうするべきか?

やっぱり<物語>に没頭する、書かれている書物の内容をメタ視点で読み解くのではなく、真剣に読む。向き合う。自分のものとして咀嚼し、知識とするということの積み重ねのような気がします。マンガでも小説でもゲームでも映画でも音楽でもインターネットでもなんでもいいんですが、自分が興味を持てた何かにまっすぐに向き合う姿勢を養っておくと、選択がしやすいのではないでしょうか。

そろそろ誰か私のことを平成の宇野千代と呼べばいいのに…。