吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

直視されない私の「私」

 てなわけで、「人気はてなブロガー」とは、はじめて訊くキャッチコピーです!単にブロガーでもいいのに(笑)。トホホのホ。そういえば今までもさまざまなキャッチコピーをつけられてきました…。それに対して毎回、「前衛家」と名乗り直しているのですが一向に定着しません。身の振り方をあらためて考えざるを得ません! とか書くと佐々木さんにイチャモンつけてるみたいに思われるかもしれませんが、そんな気はさらさらにありません。本当に嫌なら削除してもらいますので。自分のことを他人がどういう風に思おうが感じようが自由だと思います。不愉快な場合や違和感を感じればこういう風にツッコミますが(笑)。あちゃー程度ですけどね。

 こんな風にあんまりネットをやっていない音楽関係の人からは「はてなダイアリー」というのもがものすごい権力を持っているように思われているので困ります。はてなダイアラーとかいう言葉は別に一般的じゃないから! まだ、ブログの方が一般認知度があります。たまたま、はてなやってるミュージシャンやモノカキが目につくだけですからね。

 また逆に音楽を知らない人から見ると佐々木さんの書いた「ミュージシャン/ヴォイス・インプロヴァイザーとしての国際的な活動」という肩書きを読んで、スゴイ人なんじゃーとか勝手に思われるてしまうという。そういう場合は所詮、瑣末なプロカーですよと言いたくなる。こんなふうに勝手にありがたがられたり、勝手に軽視されたり、勝手に馬鹿にされたりして、勝手に好かれたり、勝手に誤解されていくわけですけどこういうのを有名税なんだから仕方ないでしょ、と軽んじられたり、人間扱いされない態度をとられると、複雑な気持ちになります。この感情ってなんかに似てるなーと思ったら「富田メモ」は捏造だ!という文を読んでいるときと似てます。
 
 「公」として、メモを公開しなかった昭和天皇ですが、「私」とする感情がなかったわけではない。なぜなら、天皇は神ではなく、人間と宣言したわけですから矛盾が生じる。戦時下の天皇の状況を調べたり、天皇の性格を考慮するとあのメモの吐露も、そう思っていたかもなーと思える内容だと思いました。とはいえ、そのメモを「公」として、政治的に利用されることが好ましいとは思えなかったため、公開されなかったのでしょう。

 ちょっと脱線しましたが、この「私」の部分を直視しない状態というのは「おまえは人間ではない」と言われたよう。人間なのに。勝手に過剰な期待をされ、勝手に過剰に失望されるしかない道を歩いているように思う。

 だから、私は個人的な感情をわざわざ人に伝えることでバランスを取っていたいと感じるのかも知れません。決まった場所で安穏として、一つだけの評価しかない単純な人よりは多面的でとらえどころのない、説明しにくい人となり簡単に消費なんかされないぞ、という姿勢こそがこの時代に生きる前衛家の生き様。むしろ、マルチクリエーターですよ!貪欲に、あたしゃ、なんでもやるよ!