吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

嫌なものは嫌だという勇気

 いきなりですが、今後は自分を甘やかします。決めました。

 病院に結果を訊きに行ってきました。会社の近くの麻酔科に行ってるのですぐに帰ってこれるのが良いポイントです。先週の結果ですが6月18日にヤバくなった時はCPK値が19500という異様な数値(通常は40〜150)になってました。平常時は98ということで、逆に急激に上がるタイプだということが発覚。過度の運動、ストレスを減らすように言われました。過度の運動はまずしないの、思い当たるのはストレス…。今年からストレスは増えることはあっても減ることはなかった。どうりで今年症状が頻繁にあるのか。自分で思っているよりも私はストレス受けていたのか。そう思うと急にしおらしくなる。というわけで精神的にまいると確実に死に近づくということです。自らこのストレスから身を守る努力をしなくてはなりません。自罰的になりすぎる性格を直さなければなりません。人に自分のことを相談できるようにならないといけません。酒はストレス解消になるので呑まなくてはなりません。そういえば、赤ワインを呑むと症状が緩和するというのはストレスを緩和させるせいだという気がしてきました。

 ということは必然的に好きなことしかしなくていい!というパラダイスが待っているわけです。もう、私は自分の幸せを優先して考えることにします。今日から我儘プリンセスになるよ!女子として再入学するよ!嫌なことは二度としない。嫌な思いは二度としたくない。すると、死あるのみですよ。

 私はそもそも愚鈍な人間なのでストレスを感じるまでが遅い。大体、体調を壊してから気がつく。うちの父親もそういうタイプだということがわかった結果、早いうちから趣味人へと変貌したのでしょう…。離婚して正解だったな、うちの父親。最高のストレッサーが配偶者だったわけですが、逃げ場がありません。そして、私はその状態で子供で自らを守るすべを持っていなかったのでもっと悲惨だったわけですが、その弊害と思えるような心身の反応があります。これに関してはまた、人が私に対して奇異に思う点であり、私自身も「なぜ、そこまでしてしまうのだろうか」と問いてきた問題です。理由もわかってます。そして、その状態になるに到った、事件のことをことこまかに書いた文章もあります。今、客観的に読んでも、今の自分が時々見せる、頑なさや、唐突にどうでもいいと思ってすべてを投げ出したくなる瞬間の心理に根拠がある。

 一言で説明すると「無視されるよりはマシ」と思う、精神構造。これに問題がある。向けられた悪意に対しても、何か意味があるのではないか、と考えが極端になりすぎるということ。極端でなければいいのですが、そうじゃない過剰な時が今まであったのではないかと、私は思い出す。

 自分は子供の頃、自家中毒でゲロばかり吐いて幼稚園に行けなかった。学校もダメだった。集団で合わせるということがまったくできなかった。女子の集団が一番、怖かった。同調圧力のようなものは男子の比ではない。趣味のある男子としかつきあえなかった。そしてそこに恋愛的な感情が入ると途端に怖くなるので必然的に好きになる人が男性的な感じのしないタイプになる。ふつうの人があたりまえにできていることができない。誰も疑問に思わないことに煩悶し、それができない。逆にふつうの人があたりまえやる必要のないことばかり上達する。自己の特異性に意義を見出すことができなかったまでの時間が非常に辛かった。しかし、現在は恵まれた環境にあり、自分の特異性を全面に出してもいい、出したほうがいいという状況になった。それがうれしいし、その環境を大切にしたい。もっと、伸ばせる環境にしたい。それには何をすべきなのか。

 少しづつ、書いていこう、吐き出していこうと思う。
 いろんな今までにあったことを書いていこう。

 それは誰かのためではなく、自分のためだ。
 
 治る病気ではないので、これから死ぬまで無理をしない人に物を頼める弱音を吐ける人間になるように努力しようと思います。弱音を吐ける人は、強い。
 そのためにプロクで、弱音を吐きまくろうと思いました。マジで、私の病気、笑い事じゃないんだけど、自分の行動が不真面目すぎるので気の毒がられないのが難点だ。今後、体調が悪いときに人に合わせて「大丈夫です」と嘘をつくのやめよう。無理です。死にます。と即答できる大げさな人間になるように気をつけたいと思います。どんな人間だ。

 でも、過剰に心配されると、心配してもらって申し訳ない気持ちにもなるんだけど、それもやめないとな。というか、こうやってやめなきゃとかいう脅迫概念がダメだという気がしてまたそれがダメだというと…とぐるぐるなってきたので、こういうときはどうぶつの森が一番の癒しだと思うのであった。