吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

猫の話を書いたら

 なんかエキサイトのブログニュースから久しぶりに大量に人が来ててびっくりしました。あそこに貼られていることをすっかり忘れてましたよ。私は。なんちゅーかまーしょーもない話といえばしょーもない話ですよね。ただ、よく猫とか知らない人が誤解して、「避妊と子猫殺しは同じ。むしろ、子猫を殺すほうが人として責任持っててエライ!」みたいな猫知識ゼロの無知がまかりとおるのはイカンだろうと思いました。それは単なる間違いです。感情論とかはいろいろ人によってあるでしょうから一概にもコレという答えは出ませんね。ただ、猫を「飼う」というのは、猫を大切にするというのが第一の目的でしょう。そこから逸脱している行為であるので、矛盾してますよね。だったら飼わなきゃいいのにね、という単純なお話。なんか、Yahoo!ニュースで見ましたが、タヒチの法律にもひっかかるそうですね。ダメじゃん。前のコメント欄にも書きましたが、楳図かずおを読ますといいと思いました!私はしないけどね!
 
 猫といえば綿の国星ですが(すごい強引な持って行き方)あの話でチビ猫が「すべての食べ物はもともと生きていたもの。わたしたちはその死骸を食べている。自分が食べること、生きることは何かの犠牲の上でなりたっているんだ」と気が付いてごはんが食べられなくなるという話を思い出しました。私はあれを小1のときかなんかに読んで猛烈にショックを受けたことがありました。私は幼稚園まで咀嚼して何かを食べるということができなかったという超神経質なガキだったんですが(それで祖母にむちゃくちゃ殴られた。祖母は戦争体験者なので食べ物を食べることに厳しい)、その根底にあったのが殺生はイカンという強迫観念だったのかと、あとで気が付きました。幼稚園が仏教系だったのと、子供の頃に地獄描写のある絵本にハマっていたのと、水木しげるの影響で妙な道徳観が形成されてしまいました。たぶん、頭おかしかったんだと思います。チビ猫も「はじめから死んでいるものなら食べていい」と変なルールを決めて食べたりするんですけどね。オチは書きませんので興味のあるかたは読んでみてはいかがでしょうか。
 食べ物が食べられない神経質な人の話は他にも川口まどか先生の「死と彼女とぼく」の松実くんも、死者と生者の心の声が聴こえるという特異体質なため「町は殺戮で満ちている」とか言い出して、蟷螂が捕食しているだけでも殺されるものの断末魔が聴こえて、お父さんが林檎を食べれば「お父さん、りんごが泣いてるよ」とか言い出して、いろいろ大変なんですよ。相手を殺すか、自分を殺すか。どっちかですね。生と死とかのことを考えるならギリギリの状態の話をいろいろ読むと、自分なりに答えが出てくるだろうし、死に直面したとき少し、冷静になれるマスヨ。

 といわけで、『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』の刊行が楽しみになってきました。私は連載期、本気でモンちゃんにホレてましたから。マンガに出てくる登場人物にホレすぎです。新井英樹先生の無駄に暑苦しくって登場人物に対する思い入れの強さは、最近、引用した(→http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060815/1155619538藤田和日郎先生にも通じるセンスがあります。対極なのはさそうあきらです。そうそう、昨日、本屋に行ってたまげましたが、『神童』が映画化するじゃないですか。あれのおかげで『トトの世界』の文庫にも『神童』と同じ帯びがついてるんですけど、どう考えても同じテンションで読むマンガじゃないでしょう。コレ(→http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060329/1143618579)ですからね…。このマンガには私が今までに見た死体描写の中で一番、怖いのが載ってますよ…。連載時にも見て、はじめて胸が「ドッキーン」としました。ホラーマンガで鍛えている私が、ですよ。死体なんて見すぎて怖くないとこまでいっているある意味、死体解脱者の私の心にトラウマを与えているわけですから、そうとうなモンだと思います。新井英樹先生の死体には愛嬌があるんですが、さそうあきら先生のは完全にモノあつかい。この描き方は怖いです。同じジャンルに私は山岸涼子先生を入れてます。『わたしの人形は良い人形』ちょうマジ怖いよ。

 あれ? なんか真夏のホラーマンガおすすめコーナーになってしまいました。おっかしいなあ。