吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

2007年の音楽とわたし

 先日、レコーディングした話をちょこっと書きましたがメンバーが美大あがりのため組織力がなくかなりゆるい感じでスケジュールが2転3転しながらもそういう些末なことはどうでもよくなるほど良いものができそうな予感であります。吉田アミ、ヴォイス体験入門編として研ぎ澄まされた純結晶のような声の限界点をとうに超えた世界があります。

今までのディスコグラフィーはこんな感じ
http://www2.tky.3web.ne.jp/~amie/discography/index.html

ちゃんと更新してません…。今年はこういうところをちゃんとしていきたい。

 私の作品はどうあがいても誤読する余地がないので説明する気はないんですが、それでもやっぱり自分が一番、うまい解説文を書けてしまう能力があるのはわかってるので書き出しそうになるので危険です。なるべく人の文章が読みたい。だから、サイトとかでレビューを一生懸命書いてくれているのを読むとウレシイです。材料は用意するけど作り方は教えないよ的な方が受け手にとっては押し付けがましくなくていいかなとか思うのでした。

 そんなことやらなんやら。そのアルバムは10年前の発掘音源(またそんな!)と、現在の邂逅なわけですが能力値の違いやら声質やらテクニックやら知らん間に変わったり変わらなかった部分が表出されることでしょう。それはどういうことなのか。

 んで、音楽の現在みたいな話もしましたが、ここ数年いわゆる0年代だのと言われて前衛界では「なんでもアリ」の方向へ行って歴史的認識がない若者が動物的に音楽のようなものを無理矢理作ってきたわけですけどその手法が実はすでに過去にあって、それを知る人からすると「過去の焼き直し」にしか見えなかったりして。でも、当事者はその過去を知らない。ただ、やってみてらそうなった。的なものを面白がってきたわけです。無自覚とか無意識とかいうモノをやたらと賞賛する傾向があったわけですね。純粋なもの、それが良いと。しかし、いい加減飽きてきたので今年あたりはむしろ、ガチガチのコンセプチュアルな作品を評価していこう、と思ったわけです。主に私とasuna君がそう決めました。勝手に。意識的に説明できない作品はNG。似たコンセプトの作品が過去にあった場合は「ググれ」もしくは「それ、YouTubeで観たことあるよ」と言って貶める!もちろん実際、そんなことはしないですけど気分の問題です。今年の気分はそんななわけです。

 ちょっと真面目に2007年予報をすると去年爆発的に浸透したYouTubeの影響は甚大でVJとかやったりする人が増えると思う。簡単にオモシロイ映像が手に入り、簡単に加工できるソフトが流通しているのでオモシロイ映像作家は出てくるんじゃないのか。映像のリミックス作品のヤバイのが出てくると思う。すでに『ドラびでお』なんかでその路線はアリとなってるし、やりたがる人増えるんじゃないかな〜と。映像観るのめんどうってあんま思わなくなったのは革新的。文章よりも感覚的、音楽よりも意味が読み取れる映像が来るんじゃないのか。かつてもイカ天のあとにえび天があったわけですが、今年は来るよそういう映像ブームが。まあ、去年はFlashなんてのもあったしね。今年はもっと作品的にクオリティ高いヤバイのが観れるんじゃないかと期待してます。

 って音楽の話からズレましたが、映像には音が必要なわけでそういう意味では映像喚起力の高い音楽が流行るかもしれません。
 
 そして、音楽の匿名性になりすぎて何を聴いていいのかわからなくなったエレクトロニカ周辺はむしろ記名性になってきて、ジャケに本人のアー写とか入るようになってキャラ重視の世界になってなんとかして足がかりときっかけと恋のタイミングを用意されていくでしょう。私たちはあなたに会う方法を知らない!

 詩のない音楽好きになるなんて恋だと言い切ります。理由もない、好きを求めて今日も音楽を探すのですよ。探して探して出会わなくちゃ。どっかにぴったりの音楽は絶対、あるからね。

 そーしーてー。広告のためじゃない音楽雑誌がもっと出てこなくちゃね。文化は誰かが語らなくちゃね。言語化しなくちゃみんな共有できないからね。同じ夢をみる仲間がいっぱいいないとムーブメントはこないからね。あえて踊って楽しむくらいのはちゃめちゃさがなくちゃね。恥を捨てなきゃ世界は楽しめない。関係しろとせかすのはそういうことだ。という、2007年。私は今までの整地がしたい。まとめたい。知りたい自分のことが。