吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ぼくらはなぜまなびストレート!を語るのか

 いい加減、段々、追えなくなってきた!毎日、すごい数のまなび考エントリーが上げられていて、作品自体よりもそれを語る言説の氾濫にくらくらしてくる。自分なりに要約すると

 アニメを楽しく観たい。好きだから観たいという層が拡大→ネットによって可視化されるようになる→オタクエリートの目に触れるように→そんなアニメよりも優れた作品はあるんですよ!過大評価しすぎですよ!と水を差し→いいじゃん、好きなんだから!いちいち、水差してくんなボケ(←今、ココ)

 というカンジに思う。

 で、こういうことが起きるのは…

 オタクエリートと自認する人たちがちゃんと語ってこなかった。

 に集約される。これを機会に、読み応えがあり、熱のこもったあれやこれやをちゃんと今の時代の言葉で書いておいて欲しい。世代論になってくるからこういうのは一生つきまとうわけで、これよりあれがすぐれていてそれでもあれがどうでこうでなんて実は言っていても仕方がないのだ。今だからできることをすべきである。ってすでにこの影響のすべてが『まなびストレート!』という作品によって起きた反応と影響だということを注視していきたい。みんななんだかんだで、「友達から仲間へ」のスローガンに引きづられている。今までしなかった、何かをするきっかけがこの、「たかが」アニメによって行われているということ。それを引き出すきっかけを作った作品が、今ココにあるということが大切なのだ。恋はタイミングだぜベイベー。『宮本から君へ』を読めばわかる。

 なんつーか、構造を見てると、大好きな女の子(=まなび)を家族に紹介したらお父さんが、「もっといい子がいるだろ!交際は認めん!そもそもこの子の家系は今までにも駄作を生んできてだな〜」と批判。息子が「だって、出会っちゃったんだからしょうがないだろ!お父さんにはこの子の良さがわからないよ!大体、最初から否定的に見てたらいいところなんてわからないだろ!お父さんとこの子が付き合うわけじゃないんだから好きにさせてよ!」という対立。まさしく、まなび側生徒会(マイナー。これから成長していくであろうチーム)VS愛洸学園(メジャーでそつなくこなしているチーム)と構造がかぶります。

 でも、どっちも「愛」が発露で行われてる対立ですから最終回と同時に和解するといいなと思います。問題なのは作品を知りもせずただ、「こんな作品は生まれてこなければ良かった」とする層であって、それ以外の熱のこもったレビューやまなび考は読んでるとテンション上がるので、もっと書かれていくといいのにと思うのでした。

 きっかけを、影響を、人に与える作品。ただ私はそういうモノを支持していきたいんです。
 だから、まなびはオモシロイ!と言い切れる。