吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

今日、最終回ですよ!

テレビ東京 12ch
01:36 がくえんゆーとぴあまなびストレート! 「桜色の未来たち」

というわけで、はてな周辺でも何かと話題になってきましたが(おまえがいうな)めでたく最終回です。数回前からまなび感想を書かれているサイトの方のレビューを読んで勝手に自分の中で盛り上がってましたが(今までまったく面識ないにもかかわらず!)最近は好きなサイトしかみていなかった自分ですが、その当たり前を変える、日常に誤作動を起こす一番のパワーは「好き」とかいう感情的な気持ちなんだなーと実感しました。

いい意味でも悪い意味でも自分としては「変化」や「影響」を受けたように思います。反省点も多いですが、それでも進んでいきたいと思いました。失敗を恐れては成長はできませんから…。人生一生勉強!今の自分が最高だなんて慢心せずに生きたいものです。

人格否定は絶対してはならないのだ。全肯定していいのは存在。そして、その人がそこにいる。「そんな作品はありえない!」「ここにあるじゃない!」。人なんてどこで感動するかなんてわかんないんだから否定の言葉を不用意に誰の目にも触れるところで投げかけたくないなあ。ってそれを人には望めるけど強要は出来ない。不愉快は表明しないといけないけれど、それが強要と取れれないようにうまく書くようになりたいですね…。

あんよさんの経験から書かれたエントリーの

http://www.puni.net/~anyo/diary/200703.html#20070324

なお、この反論に対してどこからか「解釈は多様であっていい」という相対主義の決め台詞が返ってくるかもしれませんが、建前としてはその通りと認めつつ、個人的には本作品を誠実に観た人とだけその言葉を分かち合いたいと思います。本気の解釈同士が向き合わないと、何が相違なのかさえお互いに伝わらないからです。

にちょう同意してます。

「知らない人と同じ土俵に立ちたくない」と言ったのは、ソクーロフの『太陽』について主演のイッセー尾形が語った言葉ですが、だからといってその言葉が知らない人を排除したり否定するものでもないのです。好きだ!を表明することが誰かを否定することになってはならないと思う。
何かを否定しなければ好きだと肯定できないのは「弱さ」じゃないかな。好きの意味が少し違うと思うし、その好きは少し悲しい。何かと比べなくても好きだと思えるものって「ある」よ!

そんな私のつまらんエントリーより、あんよさんがテキスト内で紹介されていた疏水太郎さんのcosmo sphere Lv2の文章がぁああああ!まなび本編では泣かなかった私ですがこれはやられた。ツボに入ってしまった。手を繋ぐのを躊躇する子供だった自分とかと重なって、あああああ。

作品に対する受け手の理想ってなんだろうって、「薔薇×薔薇」イベントやる前からずっと考えていたんですけど、まなびストレート!という作品を通して、私は一つの理想を見せてもらった気がします。

まなびが終わったらまなび好きの人にすすめる作品!というエントリーを書こうと思ってます!主に島本先生作品との共通性とかをな。

世界はちょっとずつ、広がるべきだ!イキナリ広がると途方に暮れるからな!塊魂みたいに世界は展開していくべきだ。こたつから宇宙へ。生徒会室から未来へ。無理に広げれば無理が生じるし、その美しさに気がつけないからね。