吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

どうもこれはいよいよストレスな気がしてきた…

 どうも吐き気と腹痛が治らん!風邪か薬の副作用かも知れないが原稿に向う前になっているのでストレスなんじゃないかという気がしてきた…。うおー。弱っ!今の私の唯一の心の拠り所は『世界樹』だけ。これやってるとなんも考えないゲーム脳になるので落ち着く…。あと、まなびとか。まなび感想論考レビューオススメサイト集を作りたいのに時間がない!というかそんなことをしている場合では全然ないのは知っているのだが。はーあと、70枚どうやって直すんだろう。400字詰め原稿用紙にすると300枚だっけ?そしてすでにこうしていることが逃避であるッ!これだけ長い原稿は今までないので計画的に書き直さなければならないのだが、道のりは長く険しい。しかし、それをやりとげたあとと前では見える風景も違ってくるに違いないッ!見たいので頑張ろう…。やる気はあるだよ!手を出せば全然、客観的な気持ちになって書き直せるんだけど手に取るまでがキツイんだよこの原稿。重いんだよ!重すぎンだよ!と愚痴をかいて溜飲を下げるのであった。とりあえず、ネットが繋がらない場所に行って自分を追い込んできまつ。
 いやー今まで書いてた原稿って、今思うとめちゃくちゃ楽しかったっネ!だって好きなことしか描いてないんだもんなー。嫌ですね。嫌なこと書くのって苦痛ですね。でも、書かなきゃならないものってあるんだよなー。書かないと前に進めない系の原稿というのが…。

 そうそう、ちょっと話し変わるけど、私が作品紹介モノ書くときに影響受けた本があるんですが、それが幻冬社から文庫化されてました。

 世界は「使われなかった人生」であふれてる/沢木耕太郎




 ちなみに私は暮らしの手帖社から出てる花森安治の装丁の方を持ってます。これを買ったのには理由がまったくなくってタイトルに惚れただけという…。しかし、買って読んでみてびっくりしたのが自分が書きたい手法があったので驚きました。いやー恋はするもんですねー。ちなみに私の持ってるほうは暮らしの手帖社版のほうです。




 世界は「使われなかった人生」であふれてる/沢木耕太郎

 私はこっちの方が好みです。

 んで、その一文ってのがあとがきの「心地よい眠りのあとで」に書かれているものなんですが、

 この「映画評」が批評でないのは無論のこと、もしかしたら感想文ですらないのかもしれない。私にとってこの一連の文章を書く作業は、心地よい眠りのあとで楽しかった夢を反芻するようなものだった。
 私は、その夢がどのように楽しかったのかを説明する前に、まずその夢がどのようなものだったのかを説明したかった。いや、その夢がどのようなものだったかを上手に説明することができれば、それが楽しさを説明することになると思っていたところもある。
 ともあれ、大事なことはその「夢」の面白さが読み手にうまく伝わることである。読んだとで、これはぜひ自分でも見てみたいと思うようなものが一つでも二つでもあればうれしいのだが。

 かっこいいよね! でさー書き出しとかめちゃくちゃカッコいいんですよ!(なぜか、タメ口で語る私)

 心を動かされる。とりわけ映画は、短時間に、しかも直接的に心を動かされる。

 「滅びゆくものへの眼差し」より

 とかね…。最初の一行で人を引き込むんですよ。強引に。一ミリたりとも動かない岩だと思ったものを微動だにしない心をちょっとでも動かしたら勝ち!みたいなね。ああこんな風に書けたらいいなーとか思うけど、私には私なりの書き方で書くしかないんだけど文章がグズグズになってくると繰り返しこの本めくっちゃうんですよ。だから、持ち運びように文庫も買おうかなーと思っててね。もう、無駄な文章がまったくない。一文一文が全部、宣伝キャッチコピーみたいなの。同じように読むのが花森安治の『一銭五厘の旗』(http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html)とかもそんな風に読んじゃうね。私は小説とかあんま読まないんだけどコピーとかは好きなんだよね。そういう脳なんだよな。なんでじゃろう。

 レビューものと創作ものは8:2くらいの割合で書いていきたいものです。創作モノは精神削って書くしかねえよなーとかボンヤリ思いつつ。今は血反吐はくイキオイで頑張んないとなー。ちゃんと納得いくまでやらないとあとで死にたくなるし、自信が持てないものなー。自信が持てないものを残すのは嫌だからなー。とか、こうやって書いてすでに逃避しております…。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…。