吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

今すぐチェキ!『ゼロ年代の想像力〜「失われた10年」の向こう側』が死ぬほどオモシロイ!

 SFマガジン7月号掲載。宇野常寛氏のテキストがまさに私が今、求めている「現在を直死の魔眼」なのでまなびスト(まなびストレート!ファンの俗称。今、作った。私が)のみなさんや批評に辟易してるみなさんは読みなさい!断言する。オモシロイ!そして、ものすごい勇気をもらった&鳥肌たった。いくらも引用してやろうかと気の迷いがおきるが、してやらない。現在を直視する勇気のあるものだけ、手に取るといい。きみの求めていた言葉がそこにある。

追記>コーフンしすぎて紹介し忘れてしまいましたが、これがヤバそーと気がついたエントリーは
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20070531/1180589181
です。なんつうか自分なかであいまいとしていながらも確信していた何かが一本の線でつながったような錯覚かもしれない感じに陥りました。みんな私のオトナアニメのまなびについて書いたのも読んでYO!とか書いちゃだめか。

追記2>『このマンガを読め!2007』の28pにある鈴木繁(朝日新聞文化エディター)氏のレビューも併読をオススメ。2006年のマンガはデスゲームの匂いのするマンガがなぜか、増えたとの指摘。この要素があるマンガは過去にもあった系譜であるが頻出した理由は謎。過去にあって、現在にないのはなんだろう?と思うと「ルールの絶対性」になるんじゃないかな。ルールがわからずにスタートするゲーム的展開のストーリーでも「ルール自体が破られることがない」というところか。限定された極限状態で抗うゲーム。余命いくばかの闘病モノもここに入れたくなる。

追記3>ついでに書いておくと私が宇野氏のテキストが魅力的と感じたのは、他で指摘される先鋭的な視点というところではなく、キャラに憑依し、言葉を紡ぐ姿勢である。私はこのテキストは「評論」的なものが読者に対して影響力を及ぼさないという諦念を前提に書かれていることに着目したい。彼の指し示す評論とは読者に影響を及ぼそうと放つものだ。そこには良い影響も悪い影響も及ぼす「覚悟」があると、まさにこのテキストで言う「決断主義」を行う主人公らの行動とぴたり重なるのではないか。というところが実にスリリングでオモシロイのである。破綻覚悟で書いてるのが勇気あるなあと思います。断言する覚悟があるのはカッコイイからな!