吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

アクエリアス2リットルイッキ飲み

 びっくりした。まさか、こんなに体調が1日で良くなるとは!先週の体調の悪さが嘘のように晴れやか〜。やはり体液は大切だね。体液の澱みが人を不健康にさせるね。というわけで、南アルプス天然水にポカリ粉を混ぜて飲んでいるよ。ふつうの水だとゴクゴク飲めないけど味がついてるとゴクゴク飲めるね。すごいよね。こんなに即効性があるなんて驚いた!熱も嘘のように下がったし。って昨日、ダントリウムを飲んだので体中が弛緩してますが。みんなもポカリ的な何かを飲むといいよ。2リットルって幾らなんでも飲みすぎじゃね?だが、気にせず飲むがいいよ。涙を流すよりいいよ。2リットルの涙な。デドックス!ですよ。飲んで吐いて泣いてそして飲め。

 安易に消費されにくいものが私は好きなんですが、消費されにくいということは経済が動かないということで、動かないということは儲からないということで、儲からないということは、何かを作り出してお金を儲けられないということなんですが、お金はまったくないと、続けられないんですよ。今までにないものを面白がれるのは私の良いところですが、言語化されていない部分をうまく翻訳して、伝えるということはもうちょっと、意識的にやっていこうと思ってます。やっぱり、一人でも私の書いた言葉で「ああ、そうなんだ!それが言いたかったんだよ!!!」と言葉にできない誰かの言葉を言語化できるなら、私はそれがしたい。誰かのために。そして、作品を「正しく」、「そうともとれる違う視点」を提示したい。作者を憑依させ読者の声を聞きたい。誰かの言語になる前の声をデザインしたい。そういう考えで書いたのは今までだと『まなびストレート!』『武満徹』『西川美和』『ソクーロフ』なんかがそうだけど。まなび、ソクーロフにいたってはいまだに、褒められる(必要とされている)のでほんと書いて良かったと思ってます。

 あと、具体的には
 http://d.hatena.ne.jp/toxicdragon/
 虹釜さんとかな!パッと見、アブストラクトすぎてちんぷんかんぷんかも知れないけど、虹釜さんの中には言語体系がしっかりできていて、整合性がとれていることは、よく読めばわかる人にはわかるはずだ。キチガイが他人には理解できないけれど、当人の中では整合性が取れているのと一緒で、そこに矛盾はない。こういうものを私はオモシロイと感じる。見慣れぬ言語景色。明らかにココでしか見れないもの。何にも似ていないもの。虹釜さんのスゴイところは、言葉になろうが音になろうが一貫しているところだ。そして、それぞれが言葉でしか、音でしか、表現できないものになっている点。

 この言語景色、この才能が評価されないのはどうすればいいのか途方に暮れます!さすがに虹釜さんも体力が落ちてきて、我々も追いつけるスピードの麒麟児に変身しつつあるので、なんとか手綱をかけられるかも知れない。とかちょっと面白いことを思いついた。秋になったら何かやりたいなあ。8月忙しい…。私もいい加減、器用じゃないのでいろいろできん!けど、何かしたい。

 ヤス(aen)さんとかとも話していて、趣味が合うところは貧乏くさいことが嫌いなのと、自分のことばかりすると飽きるという精神なので、人のためにも動きたい欲求が常にあるんですよ。よく思うのが「これなら自分がするよりも〇〇にやらしたほうがオモシロイ!」と感じてその次の瞬間、もうそれをススメている。もちろん吉田アミ」に、やってもらいたいという依頼に関しては自分を出さざるを得ないわけですが、(だって、誰にでもできることやってもしゃーないし、期待を裏切るわけにはいかんのじゃ)そうじゃない適任者がいるとどんどんススメている。これは企画とか編集とかの考え。アーティストやクリエーターというのは自分の立ち位置にしがみつきがちで、嫉妬してしまって軽やかにそれらを結ぶことができない人も多い。それはそれで個性になり、強みにもなるが、私はディレクションするのも好きなので、飄々としてる。別に自分が関わらなくてもそこでいい絵が描けるなら、それが見たいと思う好奇心がいつも勝るのであった。そのほうが多くの人が楽しめる。私は私だけより、そっちを選びたい。

 作り手であるけど、同時に良質な受け手でい続けたいんです。好きなものが増えて私が楽しめる世界になって欲しいもん。だから自分とは違う人に興味がある。んだと、いう点でヤスさんとは気が合うわけですよ。チマチマしたこととか貧乏くさいこととかしたくないんだよね。自分を武装する暇があったら、動いていたい。一見、献身的な心がけに見えるけどそこには楽しみたい自分が居るわけで、自分がいないのに献身的になれるのは他に目的があるんだろうけど、目的はオモシロイものがもっと見たい!の好奇心以外はあさましいので持ちたくないな。