吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

近況

あまりにも忙しすぎて頭がおかしくなりかけたりしていますが、持久力がついたのかしらないがいきなり文章書くスピードが目に見えて上がっていて、ちょっと自分に驚いた。せっかくこの間まで、6時起き、2時睡眠という健康的な生活を送っていたのですが、ここ数日すぐの確認作業が多くて、昼夜逆転。結果的に仕事量が減り、そのことでノイローゼ気味に。気がつくと呪いの言葉を吐きながらメモったり書き直したり、メールの返事したり連絡したり余裕のないまま過ごしている。すでに、この時間まで起きているのはマズイ。イベントに出るなど適度にストレスを解消しているかに見えるが、今頭の中はじっくり考えたい「物語」の構想が霧散するの繰り返しで、これに時間をかけたいのだけど、スケジュール的に〆切先のから仕事をこなしているため、なかなか時間が捻出できず、イライラが募って他で失敗し、余計時間を取られ……という悪循環に陥っている。要は飛躍的に体調が良くなれば済む話なんだけど、久しぶりに今日、自律神経がおかしくなってきていて、まずい感じに。気分的には1個でかい〆切が終わったので、楽になり、文章書くスピードがあがったため、思いのほか仕事がはかどってはいるのだけど、ちょっと無理が祟っているカンジ。

「自分のことだけやってもいい」「それ以上、他人の世話を焼かないで」「自分のことを優先してもいい」というお許し、助言してくれる友人にも恵まれているのだけど、私はどうにもこうにもお節介がすぎるところがあり、他人の心配ばかりしている。しかし、これを辞めたい。「依頼」を受けて原稿書いたするわけだけど、そのときに「○○さんにも頼んだら?」とかプロデュース、編集体質なのかすぐに他人をすすめてしまう。これはある意味、「私に」と頼んでいる相手にも失礼なわけで、これは良くないと頭ではわかっている。でも、自分は何処かで、書き手や作り手であるだけでなく、読み手であり受け手というスタンスを崩したくない。慢心などしたくはないのだ。だから、どこかで自分よりも「もっと良い」を生み出せる誰かを薦めてしまう。でも、これは「やりたくない」から遠まわしに断わっているというわけではなく、純粋に「それを読みたい」自分がいるわけで、このバランスが難しい。それにこの思考は、逃げではないのか。自分が良いを生み出そうとしていないだけじゃないのか。なぜ、自分が一番良いと言い切れない。言い切れないような作り方に甘んじているだけではないのか。真っ向から勝負しようとしていないのではないのか。私はやり切っているのか。どこかで、甘えているのではないか。だとしたら、何に。何を。どう。

とにかく、「あなたの作品は良いのだからもっと作って欲しい」と依頼されているのに、それに応えられていないor遅いのは論外だと思う。ここのところ自分で自分が嫌になって仕方がないのだが、一体自分とは何なのだろうか。私が居ることがこの世のためになるのだろうか。否、存在は平等に無価値だ。生きることにも死ぬことにも意味などない。ないのに生きる、そこが面白いのではないか。頭ではわかっている。わかっていることが、難しい。

自分の周りの人間を幸福にするには、自分が幸福でなければならない。不平、不満を口に出さず我慢することが美徳ではない。それも、わかっている。その、わかっているが出来ない。

などなど、夜も更ければ思い悩むのである。今、自分では岐路に立っているという実感がある。正直、恵まれているとは、思う。けれど、自分の作っているものに対して、もっと時間をかけて完成度を上げたいという気持ちが高まっているのに、それができていない。これがものすごく、つらい。描いている理想と、現実が一致していない。邪道に逃げているのではないか。卑怯ではないのか。努力もしていないのに、納得できるわけがない。

この長い、深い、迷路を抜ければ、希望はあるのか。それとも、絶望なのか。それさえも、想像だにできない。ならば、徹底的に悩めばいい。そうして、道は拓ける。しかし、拓けなかったなら……?