吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

日々、創の治療は進化している

 私が犯した過ちを語ろう。

 いつも怪我をすると自然治癒で放っておくのだが、忙しいので出来るだけ早く治したいという考えがあり、それなら噂の「キズパワーパッド」を利用しようと思ったのだ。インターネットで調べると今や傷の治療は「湿潤療法」というのが一般的であり、私の子どもの頃のように赤チン、オキシドールはナンセンスだという事実であった。一方でそういった消毒法も支持されており、正直、何が正しいのか分からないでいた。
 しかし、新しい方法を挑戦しなくては、という頭が働き薬局で「湿潤療法」をうたった「キズパワーパッド」を購入。千円近い高額商品である。たかが、傷にとは思ったがあとかたもなく消えるというのなら安いのかもしれない、そして、この痛みから解放されるならと思ったのだ。
 水道水で洗浄し、貼る。オキシドールなどの消毒をしては駄目だというのだ。えーばい菌が入らないのーと思うが、流水での洗浄で問題ないとのこと。へーとか思う。説明書のいわれるままに、「キズパワーパッド」を貼るのだが、これが骨の折れる作業であった。まず、手で1分温めよと言う。温めよ!なんで、自分のひざ小僧に貼る物体を優しく温めなくちゃならないのだ。さながら、自分は織田信長に使えた猿か。

 祈るような気持ちで、拍子手打って温める。何のおまじないであろう。ようよう温められた物体をそっと、ひざ小僧に貼り付ける。不器用ですから。うまく貼れません。さっそく、表面は波打つ。それを押さえ誤魔化す。お世辞にも美しいとは言えない貼り口。しかし、それが私の精一杯である。笑えばいい。この無様な姿を。貼るという行為は、ここで終わりではない。すぐさま、手のひらで物体を包みこみ優しく1分、待つのだという。またもや、温めを強要。私は「キズパワーパッド」の奴隷。成すがままに、一分間だ。じんわりとした体温が、膝に浸透した。

 これを貼ると自分の体液が瘡蓋の役割を果たし、治癒を促すのだという。次第に白く膨れ上がる「キズパワーパッド」のパワーにほくそ笑む私であった。

 これにて一件落着!安堵したのも束の間。パッドの隙間から流れ出す体液が足先に伝わり、その痒さで気がつく。あわてて説明書を読むと液が流れ出したら換え時だという。え、こんな数時間で?1枚300円ぐらいする代物を?とは思ったが、言われたままに換えた。私は「キズパワーパッド」の奴隷であるのだから。
 その日は、そのまま眠ったと思う。翌朝、布団の中で垂れ流れる体液が我が膝小僧を固定し、布団、跳ねよけるそのとき、剥がれ、私は激痛で目覚めるのだ。敷布団にできた染み。なんとも情けない処遇であった。
 風呂場でゆっくりと「キズパワーパッド」を剥がし、私はまた新たなそれを貼り付ける。今度は成功といってよい出来であった。
 不安であったため、利用者の意見を聞くと「何があっても剥がしては駄目。垂れ流れる体液は無視」という、「赤子泣いても蓋取るな」みたいなことを言われる。痛む膝をポーンと叩いて、私。確かにそのほうが経済にも優しいと思った。

 ちなみにこのとき、怪我をしてから熱があることはすっかり勘定にいれていなかった。風邪かなんかだと思っていた。

 早速、予定を切り上げ、近くの薬局に走った。大き目のパッドを買えば問題は解決するだろう。なあに、液だれするのはパッドが小さいからさ!と自らを鼓舞。雨の止んだ一瞬を着いて、走らせる自転車。ペダルを回転させる。そして、私は目当ての大きめ「キズパワーパッド」をめでたく購入。まさか、3枚で1000円近いとはなんというコストパフォーマンス。しかし、私はお前に賭けたのだ。お前の革新的な形状を信じたいのだ。何回目かの祈りをお前に捧げた。

 帰って、風呂場で傷を洗い、それを貼る。ようし、もう4回目だ失敗もしないさ!と思いきや、やや傷をズレて貼ってしまう自分の不器用さを呪う。この私の駄目さは天性のものなのだろうか。笑え。笑えばよい。私という人間の不具合を。

 そんなふうに自虐的な気持ちのまま、貼り終える。そのあと、流れ出した体液はサビオで保護した。これで休める。眠ろう。眠るのだ。

 翌朝、想像以上に流れ出した体液は私の履いていたパジャマのオジーオズボーンに貼りついていた。サビオごときでは、体液をすべて吸い尽くすことは不可能であったのだ。撃沈である。私は、再び傷口と出会う。そこで、ふと思う。

 もしかして、これ、体液じゃなくて単に化膿しているだけではあるまいか?

 そう思うと、膝小僧からは激痛。じんじんと生きてる証の音が鳴る。

 早朝の私、インターネットを駆使し、近くの皮膚科の予約を取る。外科でも良いようだが、適当な外科がなかった。皮膚科にいくと、軽く尋問されるように手当ての不備を指摘されたが、ことこまかに説明すると納得してくれた。そして、先生はこう言ったのである。

 「あーあれねーこういう傷には向いてないんですよ。こまめにパッドを取り替えればいいんだけど、高いでしょ?」

 自分のしてきたことは間違いではなかった。

 「傷自体はきれいになってるね。でも、そんな1枚300円もするやつを一日何回も換えるのは不経済だからね。」

 力いっぱいヘッドバンキング

 「軟膏と抗生物質出しておきます。痛むようでしたら鎮痛剤を飲んでください。」

 的確な、あまりにも的確な指示である。

 もらった軟膏はまるで、ガマの油のようだった。粘度の高い油を散布して、包帯で優しくガードする。何度も、何度も、傷口のガーゼを取り替えると、そのたび、新しい皮膚があり、思わず顔がほころぶ。そのピンクの新皮から赤ちゃんのような匂いがするのだ。

 だが、毎回、ガーゼを取るときに激痛と出血。この不器用さはどうしたものか。私の中にはブラックジャックは居ないようだ。

 そういうわけで、みなさん、怪我の治療は昔と変わっているのです。現在の子どもたちは、保健室で赤チンを塗られることもないのだろう。あの、赤チンとはなんだったのか。懐かしい風景はもう消えている。ノスタルジーの虜になる前に、知った事実と現実。それでも、まだ、私の右足は鈍く、痛い。

 これが、私の受けた罰だというのなら、あの世で罪を償うよりも、ずっといいのかも知れない。