吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

おすすめマンガ

連載:吉田アミの"マンガ漂流者(ドリフター)" | 音楽・文筆・前衛家の吉田アミが独断と偏見でマンガを紹介しまくり! - 骰子の眼 - webDICE

を書いているので、古いマンガとかー、評論家が好きなマンガとかしか評価してないんじゃないのー的な風に読めそうなので補足しておくと、それはないときっぱり言い切れる。実際今のところとりあげているのは過小評価されてる作家ばっかり。なるべくこのバランスをいい感じにしたいものだー。

自慢じゃないが、マンガ読む量はマンガ系ブログを更新している人には劣るだろうが、数多のマンガ批評家や自称マンガ読みよりは、偏見なく読んでいる自信はある。ただ、現在は連載の関係で過去作品の読み直し、単行本未収録作の洗い出しが多いため、新作に手が出せていない。これは非常に痛いところなので、定期的に自分のネットワークから、大量にマンガを読んでいる人におすすめしてもらいピンポイントで注目作を読むようにしている。

最近、すすめてもらって良かったのは『美しいこと』 橋本みつる、『Under the Rose船戸明里

特に『Under the Rose』はマンガとしての完成度が高く驚きました。時代考証もしっかりしている。裏『エマ』、『ブラッドハーレーの馬車 』、『黒執事』とすすめられましたがピン!と来た人はぜひ。私は三原順の『はみだしっ子』、鳩山郁子『カストラチュラ』、萩尾望都ギムナジウムマンガ(『恐るべき子供たち』『訪問者』あたり)を連想しました。ショタ萌えの人はぜひ。

よく聞く言説の一つに「何故、批評家は売れているマンガを評価しない」というのがあるのですが、ちょっとこれについて考えてみたい。この批評家はイコール「何かマンガについてえらそーに語ってる年寄り」としても有効。

なぜ、評価できないのか。一つにその書き手の怠慢が挙げられるだろう。まず、読んでいないという問題。読んでいても売れてるマンガ、現在の流行マンガの「良さ」が分からないため評価できない。若い頃に出合った作品というのは、どうしても印象が強いからどうしても高く評価しがち。「昔の作品は濃かった。それに比べ今の作品は」と愚痴っぽくなる人の評価は要注意であろう。分からないということに対して、謙虚さを持たねば正しい評価はできない。一体、その作品の良さはその時代特有のものなのか、それとも本当に時代を経ても評価できるものなのか、ということは念頭においておいても良さそうだ。その上で、レビューやコラム、印象批評をやる分にはなんら問題ないと思う。

私が良く使うのは「これが若い人にウケるのはわかる」という評価基準。こういう作品は「共感」を人質にしている場合が多く、リアルタイム読者以外には「?」となることが多い。同じ文脈、言語を有する人に届くがそれ以外には訴求できないという場合。売れているし、若い人に人気があるにも関わらず評価が低いんじゃねーのーとよく言われてるのが「惑星のさみだれ」、「神のみぞ知るセカイ」、「未来日記」とかだろうか。ここが評価できないというのはけっこうイタイと思う。特に今回挙げたこの3つについては、ゲームとアニメという文化を拾わず、マンガという狭いフレームで評価しようとすると必ず失敗する。おっさん批評家が評価できないのは、マンガ以外を無視しているからであろう。

では、批評家面したあいつらは単なる老害なのか? というとそれは先輩に対して失礼だ。という話になってくる。ここに何かよくわからん壁のよーなものを感じるが、彼らがしなくてはならなくて、若い人が耳を傾けねばならないのは、過去の作品の評価である。クラシックと呼んでもいいかもしれないが、過去作品は古典としてしっかり勉強しておいたほうが、豊かな気持ちになれる。まー勉強と描くと堅苦しいが、過去作品より現在の作品のほうが、読みやすさとかリーダビリティという点で優れてはいるが、「新しさ」という点においてはどうだろうか。現在、「新しさ」が評価に含まれられないのは、既に「新しさ」という新天地は開拓されつくしているからだろう。残された土地で、大量生産できるおいしい作品を育てられるか、ということに重きが置かれており、だからこそ、クオリティの高い作品が生まれているという事実だ。しかし、これも、屯田兵のように開拓した人たちの努力があったからこそ、生まれたもので、「新しさ」を目指した人たちを称えることはあっても、バカにするのはあまりに無知すぎると思うのであった。

マンガはエンターテーメントである。「好き」「嫌い」「面白い」で判断していい。

ただ、批評家だのを目指したり批評家を揶揄するのであれば、それ以外で作品を評価しないと説得力はないだろう。何が、どう、面白いのか。それを書けたら、次の時代に残せるというもの。好きな作品のその理由を、嫌いな作品のその理由を書け、そしてその原稿に価値があれば、お金がもらえます。

そういうことなんだなーと思いました。

ううう、がんばろう。自己反省。

あーあと、売れている作品というのは売れている時点で、すでに高く評価されているわけであり、私が知りたいのは売れてないけど面白い作品です。売れている作品はもう読んでいるので紹介されなくても良いわけです。ブログで書かれたレビューをまとめるだけでお金もらってるor金もらわずに自己顕示欲を満たしてる自称ライターとかほんと消えてほしい……。そんな仕事は誰でもできる。お願いだからブログでやってくだちい。価値がある文章っていうのは、売れている作品を評価するときに、他とは違う視点で目からうろこな指摘があれば価値があると思いますが、それがなくって、ただ、オモシロー、何でこの作品が評価されないのかわからん。というだけの意見だと訴求力が低い。啓蒙したいなら、説得力を持たせないと知らない人には届かない。でも、正直、そんなめんどくせーことはする必要はないので、ただただおもしれーと言っているのが正解な気はします。

ナンシー関も言ってましたが、影響力を考えると売れてないけどくだらないものより、売れているけどくだらないもののほうが罪深い。批評家とか職業ライターには売れてないけど面白いもの、売れているけど正しく言葉にされていないものについて積極的に語ってほしい。っていうかそういうのを自分が、読みたい。もしくはその人しか書けない超個人的な思い入れがある文章も面白いと思う。すべては希求でしかないわけですが希望を持つことはそんなに悪いことではない。