吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

予定と目標と理想

 とにかく今、自分の中でわだかまっている部分を明文化しないと先に進めないので、少女・女性マンガの系譜については、徹底的に洗い出したい。このインスピレーション自体は、別段、最近思いついたことではなく、そもそも「美しき穉き少女に始まる文化系女子攻略徹底ガイド付き戦記」で書いたのだ。でも、ロジカルではないので説得力に欠けているという。いや、説得力は必要ではなかったのだが。なんというか自分にとって「当たり前」のことって、言葉にしないんだよね。もし、これが「女」という病だとしたら、そこから逃走したいという物語。ここをクリアすればもう少し、書ける幅が広がる気がする。書ける幅が広がるということは視界が開けることで、それはそのまま世界の広さを感じられることだ。とにかく、今、窮屈なのだ。

 私は常に「何故?」を問い、答えを求めながら書くので、書き始めたときには自分の中に答えを持っていない。調べたり書いたりしているうちに、答えが見つかりそれで「納得」できるというのの繰り返し。何を選ぶかは直感なわけだけど。直感で出来ることに限界が見えたというのが、今の私なわけなんですが。

 あとは、「当たり前」のようにできていた自分の声のパフォーマンスについて、懐疑的になっているというのがここ数年、2005年あたりから文章を書き始めた一番の理由で、「なんで音楽家なのに書いてるの?」と言われると「それは自分に正直だからだよ」とでもお返しするのが一番スマートなのかも知れない。バカのフリをするのも疲れたというのもあるが、(バカでいれば責任から逃れられるという甘い考え)いろいろと八方塞りな気がしている。というか、不安でしょうがない。このままで良いわけがない。絶望が心身を蝕み尽くす前に慧眼を持たねばならない。

 この世には自分が一番、欲するものが「ない」。なんと「ある」にするには自分がやるしかないという。触発されて誰かもそれが「ない」ことに気が付いたら少しはこの孤独感から抜け出せるのかもしれない。しかし、他人にそれを求めるのは愚かなことだ。希求しかできない。

 暗闇のトンネルを素手で搔き分けて進むのみだ。蝋燭一つ、ありもしない。へとへとに疲れて硬い寝台で眠るのだ。夜には電波猿のカクテルが待っている。

 (真の意味で)

 明けない夜はないのだ、