吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

今日は休むことにする

 さきほど連載の原稿を書き上げて送った。ほんとうは調べ物をしなくちゃいけないけど今から寝たらたぶん起きるのは夕方だろう……。起きたら資料の整理をして、身の回りの掃除などをしよう。眠い。

 ところで、西島大介さんや鈴木志保さんの担当の島田一志さんという編集者がいるのですが、これまで飲み会で何度か会ってマンガの話で大いに盛り上がったりしていた。COMMUNE DISCのマンガイベント『MANGA☆YAWA』のトークを聞いたとき、はじめて島田さんの経歴が分かり「伝説のマンガ編集者」の異名は伊達じゃないと痛感。そして、先日。今更過ぎるのだけど島田さんが書いているマンガにまつわる本(なんと4冊も出ていた!)を読んだら仰け反った。何これ、めちゃめちゃ面白いじゃないですか!

 自分が連載はじめる前に理想としていたかたちが既にそこにあったのだ。しかし、書きながら私は「これじゃダメだ。こんな程度じゃダメだ」と自問自答のように叫び続けていたため、実際にはそのかたちにはならなかったのだ。そのことでまた、悩んでいたわけだが島田さんのマンガ論を読んで完全にふっきれた。ありがとう島田さん!と勝手に感謝しているのであった。

 私が書く前に理想としていたかたちというのは、ダ・ヴィンチが編集した『1億人のコミック・リンク』だった。ただし、2009年の現在にやる以上、マンガからマンガのみの接続で語らない、マンガからマンガ以外へ世界を押し広げる、それでいて、最後にマンガに立ち戻れるようなものをイメージしていた。川口まどかの回では、わりとまっとうに作品論に寄っていたが、やまだ紫を書くにあたってどうしても「女流マンガ家」の系譜と90年代の女性マンガ誌の歴史について、調べる必要が出てきた。それをやらないとどうしてもやまだ紫の先見性を読者に説得できないと思った。やまだ紫の作品論は、ちくまから出ている作品集に収録されているものが優れていて、実際、原稿では引用しているくらいで、あまり新たに語ることがなく、注視すべきは他人が指摘していない擬人化についてと、混同するモノローグについてだった。これは自分にしか書けない。そこで役立ったのは昨年、「ユリイカ*特集 マンガ批評の新展開」に寄稿した「いつかあなたとはお別れしなくてはなりません 作者である飼い主は愛する猫との別れをどう描くのか」と一連の大島弓子研究によって得た知識とインスピレーションだった。よもや、やまだ紫を語るのに大島弓子を読み解いた経験が活かされるとは自分でも驚いた。
 その後、先日まで書いていた鈴木志保なのだが、当然、担当編集である島田さんまわりですでに批評されていた。仲俣暁生さんの書いたマンガ評にいたっては、ちょっとおセンチになるほど優れたものが多い。なので、切り口を変えないとマズイ!と思い、「ぶ〜け」のマンガ家養成コースにしつこいくらい注視していくという方法をとった。実際、マンガ家養成コースという特殊性は当時、雑誌を読んでいた人なら分かるだろうが、鈴木志保先生本人に伺った際も「すごいところだった…」というおっしゃっていたので、的外れではなかったと思う。当時の編集者も読んでくださったとのことで、私が誌面から受けて推理し、構築した情報に大きな間違いがなかったこと、それが当時者やその当時に「ぶ〜け」に熱中していた読者に受け入れてもらうことができたというのは、少なからず自信にも繋がった。しかし、それでもこの方法が正しいのか、自信が持てないでいた。読者はもっと気楽なものを望んでいるのではないか?しかし、気楽なものならブログで十分ではないか?情報と作品論をどう融和させていけばスムーズなのか?などなど、自責の念は尽きない。私自身がどうしても嘘や誇張、歪曲した情報を流したくないという気分が強く、特にこの一億総表現者状態の昨今、「だと思う」というような無責任な文章は書く気がおきなかった。なるべく、正しく作者が何をどう描いたのかを指摘したい。作者側の視点に近いような気分で書くことが、私だからこそできる手段ではないか、という思いがあった。作者を憑依させてオートマティックライティング。これが目指すところでもあり、私の文章を面白いと言ってくれる人はそこを期待していたりする。

 正直に白状する。これまで、ユリイカなどで書いてきた批評は、すべて印象批評である。そして、何故、私はそう書いてきたかと言うと沢木耕太郎の『世界は「使われなかった人生」であふれている』や花森安治の『暮らしの手帖』、仲畑貴志に影響を受けていたからだ。4年くらい前の自分の気分としては、「とにかく何かをやらなくては」だった。「やる」ということがどんなに不恰好であっても、行動することそのものを「美」としたのだ。その気分にぴったりだったのはアニメ「まなびストレート!」であった。「まっすぐゴー!」でしか、頭に無かったのだ。だから、無根拠なアジテーションを良しとした部分がある。しかし、そうして扇動しても何も変わることもなく、むしろ事態は無責任さただ、面白ければ良いという快楽に走る傾向を見てきて、「しまった、人間とはそもそも堕落する生き物だった!」と気が付く始末。そもそも、不特定多数の他人に影響を与えようとして行う行為は醜いものだ。それは洗脳に近い。私はそれを嫌っている。ここに一つの限界を知った。

 ここからは模索の日々であった。理由がわからないときはマシであったが、ある程度、理想の輪郭が見えてくると苦しみが訪れるのは当然。今回、これだけ長く「対象のあるものを書く」ということについて悩んだ経験はない。それまでなんとなく、書けていたのだ。イコール私が、欠けていたからである。それでは、ダメなのだ。到底太刀打ちできないほど、マンガ批評というジャンルは円熟している。ここに入っていこうとするなら、すべてを無視するか、すべてを知るかのどちらかだ。

 そこで出会ったのがオクタビオ・パスの詩論であった。かつて詩人とは自身を辛らつに批評する者でもあった。今、批評というのはメタ視点で批判することを指すことが多い。詩と批評はセパレートされるものだと考えられている。しかし、それは最近の話であり、パスの詩の批評を読むと詩と批評が渾然一体になっていることが分かる。事実だけで表現できない細かい感情のあわいを詩によって超越するのである。詩人が他の詩人を批評している。表現者が他の表現者を批評している。これは可能であり、間違っていないと背中を押してもらうような気分だった。

 創り手と受け手には壁があり、創り手は創り手の視点でしか語れない。という言説は間違いだと思っている。創り手はまず、自分の作品の一等最初の受け手である。受け手の視点ー客観視がない作品というのは、アウトサイダーアートでは価値があるだろうが、エンターテーメントとしては劣っている。独りよがりなものになりがちだ。だからこそ、優れた作家は批評眼を持っているはずだという推理は間違いではない。事実、多くのマンガ批評よりもマンガ家が自ら語るマンガ論のほうが、ずっと真実味を帯びている。マンガ批評を志すものが闘わねばならないのは、同系の批評家ではなく、マンガ家そのものだ。一体、マンガを描いている人よりもマンガについて考えているのか?といえば、首を傾げたくなるような無様さだ。そこで、価値を見出すためには、決定的な何かが必要であった。

 話を戻すと、島田さんの本には、当事者、編集者がマンガを論じるという他のマンガ論にはない切り口が鮮烈であった。どこか絶望しながら信じている、マンガが好きな人間の言葉だ。だからこそ、熱いのだし、それらの本が魅力的なのだ。しかし、私は編集者ではない。マンガを投稿したりした経験もあるが、どちらかといえば、マンガについては読者に近い。それでいて、物語も書いている。そこがほかとは違う。私の文章は表現者よりだとよく言われる。実際、作者からは「何故、こんなに分かったの?」と言われたこともある。作者が言葉に出来なかったあわいを集めて、言葉にしたい。そこは揺るがざる得えない芯である。そうやって多くの作者の思考パターンを知ることで、自分が変わるのではないか、と期待している。まだ、私の計画は半ばだ。やりたいことはまるで出来ていない。

 ありえたかもしれない道を夢想して、後悔しつづけるより、ありえたかも知れない道を提示されてしまうほうがずっと良い。そういう点において、島田さんのマンガ論は自分にとって衝撃であった。作者に近い編集者という立場と経験があるからこそ、書ける理想のかたちであり、私はそうではない。では、やるべきことは……?と考えていたら、非常に頭がクリアになり、自分の書いている文章にはじめて自信が持てた。いくら他人に良いといわれても、何処か自分で白々しい気分になっていたが、ここで迷いは吹っ切れた。あとは、その信念を深めていくだけだ。

 言葉によって傷ついたものは言葉によって救われる。そして、その効果は本人が想像だにしないかたちで行われる。だからこそ、作用するのだ。影響されるということは、そういうことなんだ。