吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

8月8日の次、

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の「エンドレスエイト」の回が8回続き、8月8日に終わるという、駄洒落かよ!?と突っ込みを入れたくなる2009年の夏。8月9日のエンドレス以降が原宿のV△C△NTの大友良英「without records展」のクロージングライブがあまりにも8月9日だった。

回転するレコードというのは永遠性を持ちながらも徐々に変化していく。

8月9日に私はあの場所に居て、自分が演奏している事実に愕然としている。その一日前に、西島大介さんとさやわかさんのマンガ学校にて「昭和」という価値観について考える機会があって、その価値観を知った上で、あの場にいたことで、分かることがいろいろあった。大友さんの趣味は「昭和」というテクスチャーなのだけど、それが2009年の東京でこう解釈されるのか、という提示があった。

これは衝撃だった。

別にお金もらってるわけでもんなくただ、面白かったので書くだけだけど(って前置きしないと褒められないこんな世の中ポイズン)、この大友さんの挑戦というか地平が、なんというか過去の自分を全部抱きしめてあげる、みたいな優しさがあった。これって80年代から90年代の斜に構えてかっこつけてるセンスではない。私の世代はそこにどっぷりつかっているので、物語性を持つことが「ダサい」と反射的に思うのだけど、そうやってすべてが点在していくというセンスが、つまらない、と感じている、だって、物語ってどこにでもあるでしょ?という。

2009年にある意味があるというか。

私などははじめてであったのが13歳で、そのときの衝撃はユリイカ大友良英特集でも書いた。で、大友さんは過去を更新していくのではなくて、継続しながら変わっていく。これは、エヴァのアニメと同じで、もう一度、過去と向き合う、そして、現在と接続していくという表現を選んだのだ、ということに私はすごく感動してしまう。

グランドゼロにあった骨子を抜き出し、洗練化したものを、2009年に提示してしまう「大友良英」に私は出会い、そして、関係できたということに、感動している。

まさか、ライブ中に震度4の地震とか、、、ありえない!ギャヴィンブライアーズのタイタニックかと思った。頭の片隅で、『AKIRA』や『エヴァンゲリオン』のファーストインパクトが起きて、私たちは死ぬと思った。おお、このまま演奏しながら死ぬのかーそれはそれで、良い、とか思ったしな。演奏者が誰も微動だにしてないところにプロ意識を感じました。演奏しながら死ぬって、けっこう美しい終わりかも知れない。みなさんが好きな、美しい滅びです。

大友さんがすごいのは、こういう奇跡を何度でも起こすところです。アニメだったら「ココロ図書館」で何度でも奇跡をみせてくれたけど、現実でこの引きのよさ!太田さんが飲み屋のスクラッチカードで1枚でビールあてちゃうくらいの、凄さがあるわけですよ(分かりにくい例えだが!)。

きちんと言葉にしなくてはいけないと、思うし、そうすることが一つの答えだとも思っている。

でも、いまは感動しすぎて、何を伝えたら良いのかわからない。言葉がどれだけ、無力かということも分かっている。私たちは8月9日に生きていて、これからも生き続ける。それが2009年8月9日以降の世界。すべてが夢でもいいと思った。