吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

『マンガ漂流者(ドリフター)』第18回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.3

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3回目更新されました。ちなみにTOPのカラーイラストは太田出版とカツキさんのご好意によりWeb用に許可をいただいたものです。単行本には未収録の超美麗カラー!白黒もいいですがカツキさんといえばカラー!でもあるのでその色もじっくり見てほしいです。なんでこんなにヴィヴィッドでアシッドなんでしょうね。見てるだけでテンションが上がってきます。

今回は、90年に主婦と生活社より「新人発掘と100%男の魅力サクレツコミック」と称し創刊された青年誌「ギガ」と「ガロ」など90年代におきたサブカルのメジャー化がマンガ界に及ぼした影響についても語っています。あおりで「ギガ」が「伝説の雑誌」とありますが、特に「伝説」というよりは「変」な雑誌だったというほうがしっくりきます。劇画、ヤングレディース、ガロ、ニューウェーブが入り乱れ、90年代にありがちな青年誌の特徴を網羅しているという点では注目するところが多いんですが。

他での折に触れて説明すると思いますが90年代、青年誌が新人発掘に力を入れまくっていて、どんどん変なものや新しいものを考えもなしに受け入れていき肯定していったということって、他でもいろいろありましたよね。タワーレコードとかWAVEのおかげで世界中のへんてこな音楽が聴けるようになったり。で、虹釜太郎さんの「パリペキンレコード」を筆頭に野界典靖くんの「クララ」やアールヴィヴァンから独立した山辺圭司さんと「パリペキン」立ち上げメンバーだった軍馬さんの「ロスアプソン」とか個人の趣味による専門レコード店ができ、2000年を前に次々と潰れ(このなかにはほかにもタワーレコードの縮小、ワルシャワ、WAVEなど西武文化の衰退)なんかも絡んでくるわけです。佐々木敦さんは「ローファイ」を提唱したり「UNKNOW MIX」だったわけですが、妙な熱気が東京にあった時代でしたね。ロスアプソンはなぜ、残っているられるのか、とか考えるとちょっと雑誌の存続にもリンクするとこありますよね。

クラブ文化も全盛でした。それこそラリってる人がそこかしこにいて、ケンカも多かったし、あそこのクラブのトイレでは先日レイプ事件が起きたとか、絶対に知らない人から酒をおごってもらうなだの常にヤるかヤられるかの緊張感がありました。そういうのが嫌で単に音楽をどっぷり良い音で聴きたい〜から、観客に近い視聴スタイルで音楽をやりたいと思っている層が増えてきて多少、楽になりつつある時。自分はクラブやライブハウス以外でのイベントをオーガナイズするように腐心してました。フリースペースやギャラリーといったところへのイベントを企画するという。とにかくPAうぜー!なぜ、変なエフェクト入れるの?変な喜怒哀楽を表す演劇っぽい照明だせえー!古い!という。

「ノイズ」と「現代音楽」と「環境音楽アンビエント」しか言葉がわけの分からん歌が入ってない音楽に余地がなかったおかげでマイナーもメジャーも一緒くたになっていってました。というのを肌で感じていて、それこそ「nu」の1号にインタビューがあるので読むと繋がっていって面白いです。で、それはミクロマクロでどこもかしこも同じ現象だった、と。同時代性というのがまだ有効だった時代ですが、それでも当時はそんなのこれから関係ねェ!というのが未来でかっこよくてクールだったんですが、センスの差異化とどっちがかっこいいか、どっちが外しつつオシャレ戦争みたいなのはありましたね。

とぼんやり昔話。雰囲気と気分は思い出しました。音楽で起きている現象が一番、早くてHOT!でしたね。もう、今は遅い、遅い、遅い。というか新しさで更新していくところに「価値」が見出せなくなってるからね。とかなんとか。