吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

『マンガ漂流者(ドリフター)』第20回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.5

http://www.webdice.jp/dice/detail/1915/


兎角この世は……

好きな何かについて好きだ!と書くのは快楽だよなあ。と、恍惚としながら書いている連載「マンガ漂流者」もついに20回になりました。書く場所を与えていただきながらこうして好きなことを書ける幸せ。その口実に知りたかった何かを知ることが出来る。毎回、自分のくだらない固定概念が覆されるのです。正しく知る、知ろうとする行為は小さな想像を破壊し、大きく飛翔させてくれる。空はこんなにも広く青いのか。当たり前を実感する瞬間ですな。

と、いうわけでタナカカツキについて書いている連載も既に5回目……。書きたいことが多すぎて毎回、5000字前後で抑えるのが苦労しますが、むしろ、5000字しばりがあったほうが読むほうには優しいと思います。分からないことは保留してどんどん先に読み進めながらあとからもう一度、読み直してほしい。そんな希望を込めて書いております。

『逆光の頃』の新装版が発売され、少なからず自分がその復刻に関われたことは嬉しかったのですが、しかし。カツキさんの叙情派時代の作品、良いわ〜。ってのが分かっていて、自著『サマースプリング』の表紙をお願いしたのですが、改めて、何て計算されつくしたデザイン!内容!企画!と足をばたばたさせてしまいます。まったく、そんな話はしていないのにその「気分」は共有されている。この「気分」でもう一度、『サマースプリング』を読み直してほしいです。笑われるほうが救われる。

作者が隠している部分に気づくとき、鳥肌が立つ瞬間。この作品に惹かれる理由が分かるときに。ほとんどラブレターみたいで。でも、これは「言葉」にしないと一生、現れない気持ち。

私が劣っているのはたぶん、こうして書きながら分かろうとする姿勢でほんとうは分かっていて書くのが正しいはずなのですが、私は分かっていること書くのが苦手で、書きながら読者と一緒に気がついていきたい。そう、ここが好きだ、という話をね。したいのだよ。

たった、ひとつの。たった一瞬の欠片をなんどもなんどもなんど凝視する。そういう鑑賞の仕方もあるのです。エコだよねー。流行でいえば。一生、持っていたい。そんな作品なのですよ、『エントツにのぼる子』も。多くを語っていないからこそ、純粋で、いっとう透明な、上澄みなのです。だから、何度も読み返したくなる。

バカドリル』がなぜ、生まれたのか。ということを考えるたびに私はどきどきするのです。「おふざけ」が必要だった90年代という時代の刹那があって、現在がある。この現在の絶望を認識する上でも、もう一度、振り返るべきはあのとき。私が惹かれるのはそんなところだ。

と、いうわけでー、現在への接続として、とよ田みのる友達100人できるかな」、井上三太「ぶんぷくちゃがま大魔王」、花沢健吾アイアムアヒーロー」、古屋兎丸人間失格」、華倫変「カリクラ」、タモリの「笑って!いいとも」にもリンクしています。それらの作品が好きな人も、ぜひ、読んでほしい!

この辺の詳しい話はブレインズでいくらでもするので、興味を持った人は授業にもきてほしい!です。ほしいほしいってばっかりだが。希望を持つことは、そんなに●いことではない。