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吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

夜想上映会 plus...(特集:モンスター&フリークス)

http://www.uplink.co.jp/factory/log/003400.php

ハイカルチャーと大衆文化をどん欲に取り込みながら、美麗なビジュアルとテキストを以て双方のアップデートを行う雑誌「yaso 夜想」との連動企画「夜想上映会」。
 今回は「yaso 夜想」の最新号で特集された“モンスター&フリークス”をテーマに、映画の上映、ライブ、展示といった複数のイベントを開催し、“この世にひとつしかないもの─フリーク”の世界がUPLINKにて具現化します。どうぞお見逃しなく。



●2/20(土)18:30開場/19:00開演【夜想上映会】
映画上映『フリークスも人間も』
◇ 日時:2/20(土)18:30開場/19:00開演
◇ 料金:¥1,300(1ドリンク付き)
◇ 会場:UPLINK FACTORY
◆ 上映終了後にトークショー/出演:今野裕一(「yaso 夜想」主宰)+吉田アミ(前衛家)
『フリークスも人間も』(1998年/ロシア/93分)※DVD上映
監督:アレクセイ・バラバノフ


20世紀初頭のロシア・サンクトペテルブルグの街を舞台に、倒錯と秘密と復讐が織りなす奇怪な物語。ブルジョワ家庭の崩壊、目の不自由な婦人、シャム双生児、エロティック写真といったイメージの数々がセピア色のフィルターを通して耽美に描かれる。

※21、28日にも関連イベントがあります。詳しくはリンク先へ。

『yaso 特集:モンスター&フリークス』の関連イベント。本拠地パラボリカ・ビスでも関連イベントが行われておりますがUPLINKでは、「映画の上映、ライブ、展示といった複数のイベントを開催し、“この世にひとつしかないもの─フリーク”の世界がUPLINKにて具現化します」とのこと。映画も観れて、1300円1ドリンク付は安いぞ!

ちなみに今回の特集の「モンスター&フリークス」ですが、さかのぼること1983年に『夜想』10号でも「怪物・畸形」特集が組まれている。およそ30年の間に何が変わったのかといえば、93年頃にスカムとかモンドで死体とか悪趣味とかが流行した後の世界……。そのあたりが最高にダサくなった00年代……。そして、現在……。かつて、死体とかフリークスとかって、コンビニ本とか「女性自身」のグラビアとかテレビでも「世界珍人・奇人グランプリ」とか、カジュアルに氾濫していた。そんな時代があったとは今では考えられないのでは。

インターネット以前/以降みたいな話をするまでもないけど、ネットにあったフリークス画像って、昔発表されたものからのスキャンが多かった。『夜想』で発表された際にはヴィジュアルと思想がセットになっていたため、本能的なショック!恐怖!すごい!みたな脊髄反射にはならなかったけど、コピーされてネットにばらまかれた画像からは思想は抜け落ち、自分が心血注いで編集した記事がずたずたに切り裂かれ露悪的な部分のみが残り、戻ってくるという悪夢を経験した今野裕一さん。詳しくは「ペヨトル興亡史」やWebDICEの「今野裕一×浅井隆 対談【後編】:「ネットは劣化コピーの温床」|【前編】に続いて、本音トークで盛り上がる【後編】をお届け。 - 骰子の眼 - webDICE」それに答えた「劣化コピー ネット/2チャン」を読んでもらいたい。『夜想』10号の編集後記にあったように、1983年に寺山修司が亡くなり、掲載されるはずだった原稿が落ちたという話はあまりに象徴的ではありませんか。

80年代に先進的な活動をした人でインターネットの夜明けに乗り遅れた人はこの悪夢のできごとを忌々しそうに語る。先日、催したイベントで永田一直さんが「嫌になって、モデムをゴミ箱に捨てた」と語ってくれた話にもリンクしそう。あの頃のなんともいえない苛立ちと拒否反応。しかし、そうした悲劇の後だからこそ、見えてくるものもあるはず。もう一度、同じテーマで編集する意味はあると思う。

さて、この10年代におきましては、最適化/単純化しつくしたあとに残った不毛の地でもう一度、種を蒔くような行いを良しとしていきたい。最適化/単純化したことにより、見通しがよくなった世界。流行りという基準がない時代だからこそ、本質が見つけやすいに違いない。再会と再開。再評価こそが必要だ。一度、乱暴に決め付けられた評価を疑うこと。そういう気分です。

昔の話って、30代以下の人ってピンとこないと思うけど面白いですよ。異世界みたいで。かつてLSDマリファナ覚せい剤が合法だった時代が日本にもあったんですよ!昭和は遠くになりけり。90年代のクラブ文化とドラッグ問題とか。汚染しまくり。その頃のことを考えると日本も平和になったよね。いきなり暴れたり殴ったりする人って減ったよね。危険が減った分、誹謗中傷や暴言も言論の自由で、軽率に発信できるしね。スルー力を鍛えるしか身を守るすべはない。鈍感になればいいだけ!簡単です。暴力の種類が変わり、陰湿化したともいうが。チラシに住所と自宅の電話番号が載ってたからなんかあったら家まで殴りこまれるっていう危険と隣り合わせ!ストーカーから切手のない手紙が届いたり、自宅から一番近い電話ボックスから泣きながら電話がかかってくるとか、よくありました。FAXに手書きでぎっしり妄想が書き込まれ延々、届いたり。キチガイが判別しやすかったという利点はあったけど。そんな話はどうでもいいか。

90年代に死体や畸形が「悪趣味」という趣味で流行したとき、次第に「命の尊さ自分の生を実感するために死体や畸形を見る/見なければならない」なんていう建前を用意して、安全な場所から覗きみるという感じが出てきて嫌いだったなあ。でも、流行っていたので不可抗力でイベントなどで出会ちゃうんだよね。ああいうかんじのものに。当時は言葉にできずにただただ苛立ってましたが、いまならなぜかを説明できる。そういう話をしようかと思います。

例えば、感動をありがとう!というお涙頂戴でオブラートに包んだものに対する強烈な拒否反応。全米が泣いた!泣ける=感動ではない。この感情の簡略化っていうのが、受け手を不幸にする。純粋さや正直さは、「みっともない」という批判を引き受ける勇気がある人だけがすればよい。そんなことで賞賛を受けるほうが異常だ。障害者を美化して、かわいそうを纏えば、免罪符になると思うな。優越を隠しとおせると思ったら大間違いだ。かといって、開き直られるのも見苦しい。そこには美しさがまるでない。

世界の複雑さがいっそ、恋しいのです。