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ADHDを疑われている話

 とにかくショックなことが多かったため、精神的に不安定になり、いわゆるSF(すごく不安定)状態がやってきて、そのせいで、瑣末なこともできなくなっていた。何かを始めようとすると始めるまでにものすごく時間がかかり、効率が悪い。立ち直りが悪すぎる。抜本的な解決策を探さないとマズイと思い、この、解決策を探さないとという能動的な態度になれたのは、自分を肯定してくれた人がいたからだ。ぐるぐるぐるぐる頭の中で、パソコンの処理落ちの時みたく、カーソルが回っていた。優しかったわベイちゃん。という禁断ボーイズのいっくんの声が頭の中で再生される。と、いうわけで、もうこれは専門家に頼った方がいいだろうと、友達に迷惑かけるのとか止めたいなーとか思って、人生、2度目の精神科に行ってきた。はじめ、総合失調症とか、躁鬱病とかだろうなあと思っていたのだが、どうもそうではないらしく、先生も食い気味で、ADHDだと言ってきた。いい病院であった。というのも、2011年にはじめて、メンタルクリニックに行った時は、ほとんど話も聞いてもらえず、どっさり薬だけ渡されて、恐怖におののいたのであった。おー精神病ではないのかーと思ったが、これも薬で改善される症状らしい。多くの天才が陥る症状であり、クリエイティブな職の人はみんなこの症状を持っているのだという。そう思って、いろいろと自分のこれまでの行動について、ノートにまとめてみると、思い当たる節しかない。それでいて、自分の周りのミュージシャンとか、なんかやってる人って、全員、そうだよ! って思ってしまった。周りがそうだから自分が異常だって、気がつかなかった。それもどうなのよだし、問題は、それまで、この障害があったとしても、うまく、社会生活ができるように自分なりの努力で、なんとかやっていけていたのだが、それが破綻したのはストレスによるものだった。パニック症状に至ったわけだ。自分は知らず知らず、より良い方法を既に決めていて、迷惑をかけないように、注意深く暮らそうとしていた。それができなくなったのは、いっぱいいっぱいになっていたからだ。コップの中の水がこぼれ落ちるように、私は自分の弱音を信頼できると思った人に吐露した。吐き出すようにというのが的確だ。その誰もが、拒絶せず、出会ったばかりの人も、快く受け止めてくれた。なんという感謝だろう。ここ数ヶ月でものすごく仲良くなったりした。で、調べたところ、文章を書くのはとてもいいらしい。そして、自分は、文章を書くのが好きだということだ。いいじゃないか。書いていいんだ。でも、それは誰かに向けて書かれなくてはならない。誰かに届くものだと、信じていなければ意味がないとか思ってしまう。ADHDの処方箋にも、自分の状態を誰かに話すのが症状を軽減させるとアドバイスがあった。救われる気持ちになったのは、自分の異常性が親の遺伝ではないか、と疑っていたからだ。よし、これで親を怨まなくても良い。恨むという気持ちは自分の中になかったけれども、選択肢として、一つ消えたのは、状況を好転させる。

 だから、自分がブログをアホみたいに書いていたのは悲鳴のようなもので、もう誰か助けてよ、と言いいながら、自分を保とうとしていた証なんだと気がついてしまった。だとすれば、私はもっと、もっと、書いた方がいい系の人だし、書かないといろいろまずい人間=死なので、やっぱりいろいろ気楽に書きたい。音楽も好きだし、ギターを出鱈目にでも、弾いている時とか、心が清らかになるので、やはり好きだと思ったことをやった方がいい。っていうか、それしかできない。

 たった一歩が踏み出せず、ぐるぐるしてしまう時が多くなって、そのぐるぐるが、とても自分を責めるので、いつもならできることができなくなることが、とっても怖くなる。ぐるぐるぐるぐる。この渦巻きがずっと襲ってくる。人には大丈夫だと言えるくせに、自分には大丈夫だって言えない。誰か、他人に言ってもらうしか、解決できない。

 カクテルパーティー効果とか言われるあれの反対で、音が全てフラットに聞こえ、雑音の多い場所にいるととても疲れること、絶対に間違えないでくださいね、と念をおされると、その期待に応えるように、失敗してしまうこと、一度、興味を示したものに執着して、調べつくそうとする態度、いっぺんにいろいろな指示をされると混乱して、すぐに答えが出せなくなること、集中と気まぐれが同時にあって、要点がはっきりしないこと、衝動と沈黙が同時に訪れること、飽きっぽいこと、待つのが苦手なこと、退屈に慣れないこと。それは全部、自分が未熟で、幼稚で、情けない、努力の足りなさだと思っていた。ドーパミンがDBDB出ていないせいだと言われると、なんとなく、納得してはしてしまう。でも、これって、即興演奏においては、めちゃくちゃ、有利というか、うまくできる性質だと思います。正しく、治療するのが、私にとって良いことなのかどうなのか、とか考え込んでしまって、またぐるぐるが来る。いやいや、障害は個性だとして、割り切って、でも、それによって、自分を嫌いになったりするような気持ちになって、自罰的な重い心が発動して、動けなくなるくらいならば、治療は必要だし、治したっていいんだよ。ぐるぐるを抱えながら、その状態を状態化して、いることなんてないんだよ。違う違う。自分を他人だと思ってみよう。自分が他人なら、優しくできるのに、何で自分は自分を責めたがるんだろうか。性癖? だったら気持ち良くなりたいけど、全然、気持ち良く慣れない。むしろ、自分が嫌になりすぎる。ぐるぐる、ぐるぐるが来る。猫のぐるぐるはかわいいのだが。

 まあ、思わくば、拒絶や透明化は勘弁してほしい。私はここにいるのだし、ここにいてもいいと認めてもらいたい。誰に? と聞けばそれはあなただという即答。知らないまま、好きだと思う気持ち。わからないまま、わかってくれるという返信。それは安心であって、一番不安から遠い、大丈夫の繰り返しの音だ。