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吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

1月18日の感想とかトークの模様をyoutubeにアップしたよ

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 まーというわけで、先日は朗読DUOのライブだったわけですよ。終わってから気を抜いたら体調崩しちゃって、数日、寝込みました。それと、ADHDの薬飲んでるんですけどそのおかげで、日常生活はひじょうにおだやかな日々を過ごして、すこやかーな気分だったんですけど、ライブやってわかったけど、反応速度が落ち、感受性が鈍る。もう、これは目に見えて、ほかの人にはわかんないだろうけど、落ちたんですよ。あと、副作用で鳥肌が立つんですけど、この身体感覚が即興において、著しく反応を鈍らせますね。この1錠400円もする薬でなんでこんな効果があるのか怖いなあと思って、ライブ終わってから2日くらい飲まなかったら悪化したよ!能生には落ち着いてできてよかったね💓(笑)←煽りってます。みたいに言われたけど、ちょっと自分ではもっといけるので、薬の飲み方考えないとライブとかには支障をきたすということが、わかったので、気をつけたいと思いました。あー早く、薬飲まないで済むようになりたい。同じ薬飲んでた人が何も感じなくなるって言ってたけど、このことかと思いました。そういう職業なのでライブ前後は飲まなくてもいいですかと医者に訊いたら飲まなくていい的なことを言われたので、次回はリミッターを外してやりたいと思います。そのあとは、しっかり飲みますよ……。このAKIRAに出てくるカプセルそっくりな、白と青の薬をな。興奮剤か。でも、スケジュール調整したり、なんかやんややらないといけないことが累積してるんですけど、文章書いてると落ち着くので、日記でも書かせてください。落ち着いたら続きやります。ああ、こんなメンヘラ自慢をするような子じゃなかったのに、わたしかわいそう! とか言いながら、ライブとトーク、すごく良かったですよ。榎本櫻湖、恐ろしい子!!! 頭の回転早くて、あれだけ臨機応変にいきなり、できちゃうのはほんとすごいです。ラジオを2台使って、音を出しながら朗読してたのですが、現代音楽とかへんな音楽が好きだと言っているだけあって、センス良かった。ぜんぜん、物怖じしていなかったですね。こちらものびのびとできました。シームレスに音をつなげるように、櫻湖ちゃんが終わった瞬間に大谷能生に読み出してもらうという感じでつなげたんですが、ほら、なんか朗読が終わった後に、挨拶するのって、なんかダサいじゃないですか。モタつくっていうか。とか言っておいて、次は生真面目に挨拶するかもしれないし、それはそのとき考えるけれど、なんとなく、ゲストとわたしたちの音がきちんと混じり合うように、演出はしたいなあと思ってあんな感じになりました。『あしたのきょうだい』から自分の中で流行っているコンクリートを煉瓦で叩くという謎の演奏法があるのですが、今回も粉砕されましたね。もう、わたし、煉瓦でブロックをどのように叩けば破壊できるのか、完全に理解しました。でも、前よりブロックの大きさが小さかったのと、ベルサンは音を吸収するため、カーペットが敷いてあるので、思ったよりも音は凶暴な感じにはならなかったですね。みんなも、煉瓦でブロックたたくと、ストレス解消になっていいからおすすめだよ! あと、何やったかなあ。そうだ、ピアノを1音だけ鳴らすということをやってましたね。これも、『あたしのきょうだい』のときにやったことの焼き直しですが、ちいさな子どもが弾くみたいにポーンポーンって、鳴らすとなんか、記憶を巻き戻してるときのような気分になるので、いいかなっていう。それと今更思い出したが、The Conet Archiveを流しました。これは出所不明の短波ラジオの音の記録なんだけど、スパイとかの暗号になっているとかいないとかよくわからないけど、5時の鐘のように郷愁を誘うのでときどき、聞いてます。


1_01: The Swedish Rhapsody

 

これ、死にたくなるよねー!いい意味で。

 

ほかはASMRの動画を10個くらい開いてもの音として使ったりしました。ある意味、Youtube DJとも呼ぶ。こういう音フェチ文化みたいなのがあるんですよ。音響派の再来か。


Asmr binaural dummy head [5] ear check-up, writing with a pencil, lighting matches

 

朗読自体は初心に返って、丁寧にやろうということで、スタンダードなやりかたでやりました。『サマースプリング』をやったわけですけど、もともとこれ、朗読DUOの一番最初のライブでもやった演目で、能生がこれと、わたしがCDに書いた『蕎麦と薔薇』のテキストを気に入っていて、その二つを初ライブではやったんですよね。今調べたら薔薇蕎麦という薔薇を練り込んだ蕎麦を食べれる店があるらしい。へー。能生はライブのために、『サマースプリング』を読み返して、読むところを抜き出してくれたんだけど、「いい作品だけどカルト小説だよね」「最後にハハとソボが救われないのがね」と言われ、まさかの10年越しのダメ出しをされるというとほほぶり。はじめてやったときは、自分の文章を自分の声で読むということ、しかもこの内容なので、すごく怖かったのを覚えている。そのあとのライブでは水嶋ヒロからはじまって、日本文学史の100年遡るというトチ狂ったアイディアを能生が言い出し、されにそのテキストをucnvがグリッチさせるという初期の朗読DUOの乱暴な企みと文学に呪いをかけ、ぶっ壊そうという悪意が混ざり合ったものになり、自分はなぜ、水嶋ヒロの小説なんてまったく読みたくないのに、読まされているだろう能生は鬼だなと思いましたが、それをやったことで、一つ乗り越えられてけっこう読めるようになったし、読み間違えはぐっと減りましたね。今回『サマースプリング』を読んでみて思ったけど、ほんと、中二病全開だからなんでも漢字にしちゃって、読みにくいったらありゃしないなんですが、もともと、これは誰にも言いたくなかった話なので、音読向きじゃないというのは書き方としては適しているのかもなと、思い直したりしました。しかし、今は音読しやすい文章のほうがいいと思ってますけど。ご存知の通り、わたしと能生は1本の小説を二人で書くという気の狂った作業をして、2年かけて小説を書いたんですけど、どこからも出る予定がないまま、先に舞台化して、音源にしてというふつうとは真逆の発表の仕方をしていて、長編にしすぎて、途中ちょっと設定資料集みたいになってるし、本人が登場するメタ小説でもあるんだけど、たのしすぎて二人とも終わらせられなくて、こんがらがっちゃったんですよね。でも、今年の3月くらいまでに一度、わたしが全部書き直そうと思ってます。登場人物が多すぎて、いまいち、焦点が絞られていなくて、唐突に本人が登場とかするからぶっちゃけ、とっちらかってるんですよ。完成度が低い! って自分の書いたものにツッコミを入れてる場合じゃないんですけど。部分的に読むと面白いんだけど。登場人物は二人に絞って、書き直しますよ。タイトルは変わらず『Red;』のままで、兄との関係が悪化したストレスで、ディスレクシアになった女の子と先生の話で、カセットテープに録音した朗読を読むことで、症状を緩和させていくという話です。まあ、そういうことも時間をかけてやったので、お互いの文章に影響がみられて、文体がけっこう奇妙な感じで融和しているので、それはもうちょっと踏み込んで、グルーヴできればいいなという企みがあるのですが、よっぽど頑張んないと頑張れなさそうなので頑張ります。吉田隆一さんにも『これはカルト小説すぎる』とタロット占いでも、診断されたくらいです。さすがに数年経って、落ち着いてリライトできるだろうというのと、わりとここでこれをしっかりやり直して置くことは必要なことだぞ、直感している。いま、他に出す予定はまったくないのですが、3作構想があって、1作はyoutuberの話でこれはマンガの原作にしたいのと、youtuberのシェアハウス青春モノが書きたいっていうのと、311の頃の話を書こうと思っている。昔の自分はあんまり、感情の出し方がよくわからなくて、悲しいことや辛いことをネタにして、笑ってしまうという病気があったのですが、それはぜんぜん、乗り越えたことにはなってなくて、むしろ、自分の中で行き場のないまま、澱んで、ひどく傷つくので、これは優秀な私設カウンセラーを派遣してでも、思い出をやり直して、自分の中で記憶を変質させ、文章にして、外部化してしまおうという、戦法です。我ながらトチ狂った提案なんですけれど、わりとそのことを夢想していると、気分がいいので、書くことでしか救われないんだな自分はどんだけ闇が深いんだろうと思った次第です。わたしはやっぱり、どこか他人とは違って、ものの見方も感じ方も違いすぎるので、日常生活でふつうな人といると劣等感に苛まれがちなのですが、まわりがもの作っている人ばっかりなので自分の異常性が薄められておりました。だから、ものを作っていない人ともわかりあえる、と思っていたんですが、やっぱり、話が伝わらなかったり、違うことが浮き彫りになって、傷つくということがしょっちゅうあった。やっぱ、心地いい人と噓いつわりもなく、言ってはいけないことなんかひとつもない状態で話せないと疲れるのだ。女子のマウンティングごっことか、陰口とか、大丈夫で頑張ってる自分アピールみたいなものにひどく疲れてしまう。もともと子どもの頃から女子グループが嫌いで独自の友人ネットワークを築き、趣味の多さから男子とも女子とも不良ともいじめられている子とも仲がいいという精神が根付いているので、やっぱ無理なものは無理なんだなあと思う。頑張れている人はその競争の中で頑張り続けていくのだろうけど、それって全人類にとって、あんまりやさしいことではないということなんだけど。社会の物差しではなくて、自分の決めた自分のルールで生きていることを自虐もふまえながら、話しているyoutuberのほうがぜんぜん人間らしくのびのびとしているように見えるのは何故だ。そういうものに疲れている人はきっとわたしだけではないと思うので、弱さややさしさについて、もう少し、向き合って考えて、言葉にしていくべきだな、自分はと思っている。思いつめていると言っても良いのかもしれない。そういうことに気づくと人にやさしくできるようになる。と書きながらぜんぜん、感想ではないことをいつの間にか書いている。これは日記なので誰に謝る必要もない。好きなようにのびのびと書いてもいいのだ。それが日記というものだ。

 誰かに謝らせてももらえない、機会を逃したままの宙ぶらりんな状態は自分を追い詰め、嫌いになっていく。こんなことは早く終わらせなくてはならい。そういう前向きな決心が、今自分にいちばん大切なことなのだ。

 

 爆笑のトークの模様をyoutubeにアップしたのでよろしければごらんくださいー。


吉田アミ・大谷能生・榎本櫻湖トーク@荻窪ベルベットサン