吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

最悪の日々。

そもそも私の近況は踏んだり蹴ったりの最悪の日々。ウィスキーのボトルは粉々に砕け散り、驚いてのけぞった拍子に自転車のスタンドでむこう臑を強く打ち、その場にうずくまって泣いてみたり、10月より訪れる無職時代の幕開けへの漠とした不安を筆頭に日々の細々とした些細な悩み、23の焦燥感、夏バテか自律神経失調症と思われる何処か狂気じみた胃の痛み、永遠に終わらないかのように感じるCDの制作、減り行く貯金、腐り行く食物など連続する不運に悩まされ続けた先週、その不運にとどめを刺すように私のかわいいパワーブックが事切れた。仕方なしに、一度は縁が切れた昔ながらの腐れ縁ともいうべき白黒を私の最悪な日々を物語る為にわざわざ搬送 した次第。このほぼ使い物にならないモノクロのワープロ専用機としても些か不便なこれは、先刻から奇妙なうなり声--聴いたこともないような不思議なノイズ「うぉんうぉん」と泣いている。泣きたいのはこっちだ。だって今日は落雷の為にJR不通という普通じゃない異常な事態に陥り、くたくたに疲れ帰って来たのだから。
 事の起こりは夜7時頃に遡る。
 首都圏を直撃した集中豪雨と落雷を尻目にコンピュータに向かっていた平和な時間にはまるで予想だにしなかったが、どうやらその頃からJRは危うい状態だったようだ。8時すぎに豪雨は静かになっていたがJ-WAVEから聴こえる外人風のDJの言うことにゃJR全線不通という信じがたいお言葉だ。ううむ。一段落着き、帰る支度をしていた私は今後の長き道のりに想いを馳せて帰るのを断念。明日に残した仕事に手をつけはじめた途端、フリーズした。
 その後も度々、フリーズし、私の仕事はたいしてはかどりもせずに10時になった。J-WAVEのDJは言う。「JRは先程、運行をはじめました」と。その言葉をたよりに快速高尾山行きに飛び乗った。
 数分後、まったく動こうとしない電車に異常を感じたがこの時点ではまだ確かな情報が得られず、ま・少し遅れているのだろうとだけ思って待っていた。だが、この時点で終バスに乗るのはむつかしくなりつつあるのではないかという予感が私の中で渦巻きはじめたが、どうにもこうにも主だった交通機関が麻痺してしまった、ここ神田からは逃げ出せない三竦み。やっと、動いたはいいが、駅間で止まりまくるので次のお茶の水まで遅々として進まない。JRは素知らぬ顔で運行をしているような雰囲気を醸し出していたので本当はもっと深刻な事態であると、素人の私は見抜くことが出来なかった。ただ、やたらと停止信号に引っかかるなあと感じたが、全てそれは駅間に電車がひしめきあっている為だと気が付くのはもう少し先の話である。
 子供は泣きわめき。酔っぱらいがゲロを吐き、赤ら顔の酒くっさなオヤジの息や。携帯電話をやんやんかける名状し難きブスの存在に電車の中の苛立ちはピークに達していく。ここはもう地獄絵図。携帯電話をかける輩は今の悲惨な状態を逐一で電車の外の世界の人に伝え、自らの悲壮さを呪うので周りにもその嫌悪が伝染し、ピリピリする。理性を事欠いた中年の酔っぱらい達はあからさまにディズニーランドの袋を小脇に抱えたファミリーの激泣き赤ちゃんに舌打ちをし、睨み付けるか、駅員の首根っこを捕まえて不平不満を言い垂れている。かくいう私はバスでの帰宅を諦めた事により生まれた余裕でラブクラフトの「狂気の山脈にて」を読み耽る。そして時々、快速から総武線に乗り換えたり、総武線から快速に乗り換えたりしながら読書は捗った。
 しかし、それも中野まで。時は既に12時50分。なんと、神田を10時に出てから3時間もこうして電車の中にいたのだ。新幹線なら名古屋まで余裕で行けるこの時間、私はただ、読書をすることでなんとか平静を保つことが出来たがもし、何も糧を持 たぬただ一人、孤独であったらやぶさかではなかっただろう。
 何度目かの面倒な乗り換えを終え、あと数駅。ラブクラフトを読み終え、成す術もなくうなだれる私がどうしたものかと思っていたその時、車内の雑踏に耳を澄ました私は「愛」の不思議な力によって救いを見出した。愛?なにを陳腐なと思われるかも知れないが、人はパンのみでは生きられないものである。この数時間の密室の中で愛の生まれる瞬間に出くわしたのだ。今まで友達だったただの男女がなんとも仲むつまじく恋人へと変わっていくのを私は目の当たりにしたのだ。まるで「好き好きスウィッチ」の歌詞のように、♪あなたのことまだよくわからないけどなかよくなりたいの〜♪のファーストインプレッション的ななんとも初々しいフレッシュさんなカップルが少なくともこの車両で2組は生まれている。こんな事もなけりゃじっくり話すこともなかった知り合いだか友達だかが電車が不通になったことによってどこぞに避難、もしくはどちらかのより近い部屋へ行く事に決めようとする会話。誰かが誰かを好きになっていく瞬間の萌えというのは、なんてドキドキするものなんだろう。
 奇跡だ。ドラマだ。奇跡は誰にでも1度だけ訪れる。と、それは「わたしは真悟」だよ。
 新品の靴のにおいのような魅惑的な駆け引きがここで今まさに執り行われているなんてなんてスリリング!惜しむらくは自分がその登場人物に成り変われない事か。うーん残念。(すっかり枯れてしまっていて情けない。男でも女でも性差に関係なく、愛だの友情だのを育みたいものだ。誰かと仲良くなっていく感じというのを味合わなくなって久しいなあ)
 こうして生まれる愛もあるのだなあと、少し沈んだ気分も持ち直した頃、吉祥寺に着いた。 丑三つ時だ。百鬼夜行のバスなら一縷の望みもありそうだが、人用のバスなどもう、あるまい。
 駅員に食い下がり、タクシー代をよこせと言う連中を尻目に、私は歩くことを選ぶしか余地はない。
 しかし、わかるか、あの道のりを徒歩しなくてはならぬ困難さをあなた方は想像だに出来まいってそもそもあなたとは誰か。
 何故に足を棒のようにして立ち尽くし電車に乗った末に待ち受ける試練がこれというのは余りに厳しすぎないか?なにせ、家まで徒歩で1時間はあるのだから。暗い夜道で絡まれたことも幾度と無くある私はこの帰宅の道が怖い。また、うちの近くの場所ではべとべとさんにも遭っているのだ恐怖は一塩だ。しかもたった一人きり。一瞬、会社へ戻ろうかと思った。緑の電話で会社にかけるが最早、時既に遅し、午前1時をまわってる。だれも居ない部屋に鳴り響いているだけであろうベルを10回程で止め、仕方なしに歩く事にした。もしかしてタクシー代が出るかも知れないと思ったが、出なかった時の痛手を考えると歩く方が遥かに気が楽だった。道路に出ると、タクシーが渋滞していたので思いの外明るかったせいもあり、歩く事に踏み出せたのだ。一度、夜中に3時間歩いた事を考えればなあにあっと言う間に違いない。ただ、それが一人きりというのがどうにもひっかかるのだが、人間一人で生まれて一人で死に行くものである。孤独を怖がっていちゃあなにもはじまらないのだ。
 下連雀ですれ違った、父と放蕩息子の会話にもなかなか感動させられた。ここでは敢えて語る事はよそう。
 まあ、こんな少しの感動を味わう為にこうも疲労する羽目になったのだというのならいたしかたない。なんて思えるほど私は老成しておらず、途中で、少し泣き、家に帰って三角コーナーに湧いた猩々蝿の五月蝿い存在にまた、泣いた。
 さて、こうして午前3時にやっと家路に着いた。かくも険しい道のりでやっとの事で得られた安堵は大きい。そして、この稿を今、まさに終えようとしているのだが、文章が直前まで読んでいたラブクラフトの影響が顕著なことは最後に記しておこう。 あでゅー。