吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

最近行ったいろいろな場所を思い出して想う

なにもしていないよーでフラフラとどこかに行ったり行かなかったりしている。散歩徒然記。

浅草編

 浅草に行った。生まれてはじめて浅草に行った。何故か。特に意味はございません。
 浅草でバイトをしていた事もあるゆうたのガイドでいざゆかん。
 今日は祝日。そこそこに賑わいをみせている。
 浅草らしさを求め一行は雷門へと歩む。
 雷門前に行った途端、人力車の客引きに遭う。風流さや雅がウリなはずなのになんだかものすごくひつこくうるさい。ふたりで歩いていると絶好のターゲットになるようで我々は思わず離れて歩いた。
 そして噂の提灯を見た。ああ、大きいなあ、と思った。
 そして仲見世通りへ。爺婆の佃煮のぎゅうぎゅうは牛歩のよに歩み遅い。爺婆は腰が曲がり背が低いので視界は良好。時々、視界を遮るのは外人の一行くらいだ。
 仲見世通りは期待していたのと、違っていた。もっと江戸風情がある鄙びた感じを想像していたので肩すかしを食らう。つげ櫛やら鼈甲細工やらがたまゆらに並ぶのはわかるが、孫を連れた老人をもろに直撃する孫専用おもちゃ屋が目立つ。その中にあって私たちの目を引いたのは、電ボの携帯!もちろんおもちゃなんだけど、電ボサイズでちっちゃくて電書ボタルとしての役目「メッセージを届ける」を果たすにふさわしい。さすが雅なお子さま。老人にも人気とお見受けした。おじゃる丸の似顔絵コーナーでも80過ぎのおばあちゃんがおじゃるを描いて応募してたし。老人の町にふさわしいといえよう。
 仲見世通りでゆうたは焼きたて煎餅を購入。私は揚げ餅を買って、喰い喰い仲見世通りを闊歩。油餅は酸化しかかった胃にもたれそうなクドさでおいしかった。
 仲見世通りのごった煮をすり抜けると、境内だ。そこにはところ狭しと屋台が並び毎日が縁日状態。
そこに鳩の群が!ヒッチコックの鳥状態になり下がった恐怖の鳩の猛攻に人々は逃げまどい阿鼻叫喚の地獄絵図。低空飛行で突進し、人を人と思わぬ粗暴な鳩は甘やかされて増長している。井の頭公園の平和な鳩とはまったく違う。老人が多いせいか人を完全にナメきっている。餌付けしていた子供の肩や頭に鳩がとまり子供は鳩の爪でやられて泣いていた。鳩よ、おまえは、鷹か。子供よ、その様は鷹匠か。
あんまりにも怖いので走ってその鳩無法地帯から逃れた。きゃー。
 前日の深酒がたたってやたらと咽が乾く私は屋台のラムネでひといき。うまい。ラムネってなかなか飲めないからおいしく感じるなあ。ここにビー玉が入っているのがなんともいえずかわいいではないか。
ゆうたがお好み焼きを買ったので少しわけてもらった。屋台で食べた中ではダントツにおいしい。さすが義理人情の町である。江戸っ子の屋台のおっさんは「はい、500万円のお返しだ!」と、おきまりのジョークを言い放ったので撃沈。500円硬貨が空しく手に戻る。
 そんな浅草だが、吉祥寺の寺で開かれた秋祭りの屋台のお粗末さとは違い、浅草の屋台はどこもげにうまさうである。切磋琢磨され、競争に残った感じの屋台骨のしっかりした屋台が多いとみた。韓国チゲの屋台まである。しかし、その分、お値段がやや高めな気もしたけど。
 私はここでちょくちょくつまんでお昼はそれでいいと思ったが、ゆうたがわめくのでちゃんとした店に行くことにした。 おいおい、境内に入ってお参りの一つもないのか?とツッコミはさておき、我々は浅草の商店街へと向かった。

ぐるぐる回る商店街

 浅草5656会館には浅香光代のたれまくが。ここは光代のお膝元。浅草。そうここは義理人情の町。
半被を来た人力車野郎どもが足早に通り過ぎ、観光名所をガイドしている。さっきの客引き達の餌食の末路だ。記念撮影もそこらじゅうで見かける。きっと誰かの知らない写真にエキストラとして出演していることもあるだろう・・・。
 あんこう鍋(家でしか、しかも数回しか食べたことない)やら釜飯やすき焼きやら天ぷらやら蕎麦やらもんじゃ(我々の間で大不評の食べ物)やらどじょう(これも人気がない)やら鰻(人気あるけど高い)やらお寿司やら江戸情緒をふんだんにアピールしたお店が所狭しと溢れている。創業ん十年の看板に重みを感じつつ、いかんせんどこもかしこも高いので入るのに躊躇したままぐるぐる回っていた。
 まるでくるくるまわる落ち葉のよに。
 結局、「浅草らしさをエンジョイ!」しなければという強迫観念から有名と噂の蕎麦屋に落ち着く。とりあえず揚げ銀杏と熱燗を頼む。早速、蕎麦屋で一杯モードだ。これは安上がりでお薦めの飲み方だ。
熱燗はもちろん安酒の大関。ツンとちるちるなにをいが鼻を刺す。
 おつまみに蕎麦味噌も付いてきたので、箸の先でちょいと付けてねぶって食べた。ぷちぷちした蕎麦の実の食感が面白くておいしいんだけどこれが甘い!単に甘モノをつまみにする習慣がないせいかも知れないが、どうも相性がよろしくなかったから銀杏の方が人気があった。丁度、酔い感じで蕎麦がくる。頼んだ天ぷら蕎麦は柚が利いてて、おいしかった。
 後はまたぐるぐるとそこいらを練り歩いた。有名人の手形があるところとかいろいろ見た。そして合羽橋に行こうという話になり歩いた。歩いて行ったが遠い上に祝日は予想通り休みだった。ほろ酔い加減の小千鳥足で歩むうちはよかったがふと、その無意味さと寒々さにむざむざと現実に引き戻された。すべてのシャッターが閉じたうらさびしいこの町のいたるとこるにいる河童が顔を出すここにいる自分の存在の小ささに圧倒されることはまるでなく、ただ馬鹿馬鹿しさにうちひしがられただけだった・・・。