吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

フェイクを気取るのは簡単だ

きょうはキリンジの新譜が出て、兄貴の歌詞を読んで向こう脛を打ったよに、しとどに泣く。下手な漫画や映画よりもヴィジアルが美しく、状況が瞼の奥に写しだされる。
「悪玉」なんかもう、お手上げという感じで言葉遊びの比喩も揶揄も暗喩もストレートもなにもかもが「走れメロス」状態!と、書きながら思わせぶりな意味のなさに少し赤面。しかし、感覚ではわかるか?
「イカロス末裔」もこないだ出たミニアルバムにないオチもつけられていて小粋。弟の歌詞は口当たりまろやかな言葉ばかりを羅列している感がするけれど、兄貴は分裂気味でありながらも物語性のあるグンバツなストーリーテラーの面を見せつけながらも言葉の選び方とかがどうしようもなく好きで仕方がない。「永久凍土」とか「姿のいいひとよ」とか「未だかつてない悪意を魅せてやる」とか漢字とひらがなの絶妙さで、なんともいへず感情移入してしまうのであった。しかし、「悪玉」のヴォーカルがどうしても鈴木慶一に聞こえて仕方ない。歌詞の複雑さはまた、違うが、どっか、ムーンライダースを思わせてならないのは私だけか。多分、きっと、キリンジが好きな人はムーンライダースが好きなはずだ。あの、どうしようもない弱い男がなんともいえずにセクシーだ。
キリンジは最高だったけど、くだらない女性蔑視とばかばかしい男のプライドのふがいなさとナサケナサを感じるきょうこのごろだ。ホント、弱い人間は嫌いだ。更に言えば、弱いくせに吠えてばかりの負け犬はクソクラエ!だ。人をねたんで足を引っ張ろうとする輩には幾らひ弱で群をなさなきゃ生きられない弱者とはいえ、情けなどかけたくもない。呪詛の言葉と呪いの念をただただ送るのみだ。おまえの愚かしさを自覚しろ。軽蔑と蔑みで高見からおまえに唾を吐いてやる。真の人生の勝者は個人感情と損得勘定を分けて、利害が一致するものとのみ契約するのだ。才能がないから合理性を軽んじて、年功序列の夢をみる。過労や家庭崩壊や残業ばかりを自慢する愚者は去れ。
嗚呼、憎いあいつの目の前で油揚げをひったくれ!最高の悪意でヤツラを地獄の底に叩きのめしてやるゼ!狡猾さは狡賢さとと違う。巧みに操作して利益を得るのが何が悪いのか?それは才能というものじゃなくって?図太く骨の髄まで蝕んで、最高の悪口で相手を言い負かしてやりたい。
だって、彼女はぜんぜん悪くない。
どんなに贔屓目で見たってほんとにちっとも微塵も悪くない。
私のことでもないのにひどく腹がたったのは「女は結婚すれば安住」なんていうワケノワカラヌ紋切り型なセクハラ。そんな事を平気で言える人間の性の根は腐ってる。そんな事をいう口はそれか。その口の歯槽膿漏の口臭のきつさはまるで公衆便所の床のようだと気づきさえしないのか。
聖者のように装いながら、女の尻と胸を横目で追ってばかりのいやらしさ。ヤワラちゃんのVネックから忍び見る巨乳にさえ、惑わされ、密かにチンコを勃てているくせに、と思う。そんなやつを神様はお見通しだ。いい死に方はしないゼ。おまえの最期は。看取ってくれる家族もなく、卒塔婆小町のように息絶えればよい。デリカシーのなさは罪悪だ。罰を受けなくてはならない。人を欺き井の中の蛙のまま、虎の威を借りてスネ夫みたいにズルイやつ。シカトなんて大人げない手段しか知らぬ凡。アーティスティックな復讐を思いつくこともなく、ただの人として誰にもかえりみられず死に絶えていくだけの、嫌悪だけを残してしまうかなりくそいぢの悪い、そうゆう人間もいるのだと知り、ショーゲキ。あまりの悲惨さに哀憐の念も沸かない。
ただ、くだらない抗争に巻き込まれ、彼女が消耗するのが辛い。ただただ祈るのは彼女の幸せとやつの不幸のみ。復讐ののろしを上げ、彼女がジャンルダルクのように立ち上がるのを私は願ってトイレに吐いた。