吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

アンテナ巡回による弊害

ネットとかネットリ気味にやってアンテナなんて立ててびんびん来ちゃってるふりをしている私ですが、時々、ばかじゃねえの私とか思ったりしてます。つーか常に自分を罵倒する私と自分最高!と盲目的に自己愛に溺れる私、二人の相反する私が互いにバカにしたりまじめになったりで毎日忙しくしています。これには私の悲しい生い立ちが起因していますが、それはまた別の時に。ま、平たく言えばキチガイ

最近、漠然とやべー気持ち悪ーこういうのってちょっとイヤだ!と警戒してンのがアンテナ巡回による弊害。みながみな同じようなサイトを見て同じようなネタで笑い、同じような感想を書くのが気持ち悪い。いや、そもそもずっとそういうのが大嫌いなんだけど、私自身がその大きな波の中に飲まれているのではないか、と思えてきて、そんな自分が最高に気持ちが悪くなっている。

私はここでネタサイトを紹介したり、メモる時に最低限、気をつけていることがある。

1)他のサイトで紹介されているネタを紹介する場合はそのサイトの管理人と同じ感想や似たコメントしか書けないのなら紹介しない
2)興味がないくせに興味があるふりをしない
3)自分が興味のあること、仕事に役立つことは気さくにメモっておく。時間を置いてから目にした時にメモとメモで組み立てなおすと意外な発見があることもあるので
4)心の琴線に触れたネタでも、ものによっては(例えばたくさん集まったほうが面白い場合などは)すぐに出さずにあたためて、コメントを考えてから紹介する
5)他のサイトで紹介していないネタは積極的に紹介していく
6)自分の気持ち、自分の考えを曲げない。自分のための日記なのだから誰かのための便利屋になんかなるまい

まあ、この日記とかと関係のないところもあるがおおむねそんな感じ。これは私内ルールなので他の人がどういう心持でやっているか知らないし、興味もない。みなが別々の方向を向いてめいめい勝手にやっていればよい。無理に仲良くなんかなりたくない。たまたま気が合えば仲良くしたいけど。好きな人には好かれたいが嫌いな人には嫌われるか、放っておいて欲しい。私もそうする。お前の考え変えてやる!とかいう傲慢な態度もイヤ。
一人一人の生い立ちも人相も性格も違うように心の琴線はそれぞれが持っている。同じであっていいはずがない。千差万別。十人十色。人の日記や文章、リンクなどに触発されて、それを切っ掛けに妄想したり、考えたりするのは、アリだと思うし、ドンドンやればいいが、出発点は同じでも終着点は別々じゃないと私は面白くない。時には「あ、きみとは同じゴールに来ちゃうねあははは」もあってもいいと思うけどあんまりそういうのが多すぎると途端に飽きてくるし、この担当は君に任せた!よろしく頼むよ!と勝手に私は任せてあさっての方向へ走り去ってしまいたい。任せられた人はもちろん委任されたことさえ知らん顔だと思うが、私は勝手に任せているよ。思考の分担作業。思考の合理化っすよ。

おんなじネタでも切り口が違うもの、今までにない新しい発見、まさかそれがそうなるとは!と驚かさせてくれる人がダイダイ大好き!それが私の中にまったくない要素だとますます興味津々。共感するばかりでは傷をなめあって精進しないもんである。そういう停滞しきったぬるま湯に沈殿していくのはうんざりだ。居心地が良くなってくると私は途端に不安になってどこかに逃げたくなる。もちろん時にはとどまることも大切だけど私はどっかに行っていつもびっくりしたり感動したりしていたい。そんな風に思う。
それに自分の思考が誰かの思考になりかわっているかも知れないという胡蝶の夢幻想が常にあるので、私はちょっと思考が似ていたり共感してしまう文章を読むとうれしい!この人わかっているなあーと思う反面、心の奥底で恐怖感が芽生える。殺意が芽生えることさえも・・・。好きなものが似ていると考えが似てきてしまうけど、あんまり似てくると気味が悪い。ドッペルゲンガーを見れば自分は死ぬというし、この人の存在があるなら私はここにいる必要はないのではないだろうか?それは存在恐怖となって襲ってくるという根っからの前衛体質である。隙間産業と言ってもらってもいい。これは即興音楽をやっている弊害かも知れない。音がかぶらないように、とか、誰かの音に反応しないようにとか音に意味を持たせないように、とか考えているからなあー。そんな美学にのっとって私は人生を生きていますよ。

明日になったらとつぜんあきてなにもかもすててしまいたくなったりまちがえてえらいめにあったりすればいいすればいいんだ自分などは所詮、それっくらいのみそっかすで十分なのだ。

私は人は100パーセントわかりあうことはできない、と絶望したところからはじめるのが相手を理解する唯一の方法であると思ってる。それ以外の方法は洗脳か勘違いか幻想でしょう。

ひょうひょうと誰にも取り込まれることなくどこか世界を拒絶していきたい。こんなややこしいひねくれた人間をわかってくれる人なぞ、相当、慈悲深い人でなければ無理だ。やすやすとわかってもらいたくなんてないけど。理解されるとたぶん、死ぬ。さようなら。