吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

WEB日記を証拠として「押収」する。 −大阪家族殺傷事件のゴスロリ少女の事例から、WEB日記の「内面表現」をめぐって

http://ellington.gel.sfc.keio.ac.jp/nsly/mt/ns/000765.html#more
かなり前から見ているサイトの一つで文字も読みやすく工夫されているので読む気が起きるnetwork styly *が事件についての反応とWeb日記についての考察がされていたのでメモっとこう。

(あと前々から興味深いなあと自分が思っているのが、抜群のネタコレクトをほこっている個人ニュースサイトであるWTBW:Weekly Teinou 蜂 Womanなのです。自分はそれほど以前から見ていたわけではないのでわからないのですが、遊さんは、過去ログをみる限り、以前はどちらかというと日記系の内容を書かれていたのに、いつのころからか「個人ニュースサイト(リンク張り)系」にかわるのですね。この移行はなんなのだろー、と思ってたのです。)

土屋さんに限らず、他でもよく見られる現象・日記系→個人ニュースサイトへの移行っていうのは私もちょっと気になっているのでその辺、掘り下げて欲しいなぁ。また、逆に日記にこだわり内面を吐露しつづける人の存在も気になる。

大塚英志は昔からそうだけど、少女を語りたがるくせにまったく少女を感情のある人間としてみていない感が漂ってきてそこが気になる感じである。葉っぱを一枚見て、ああ、ああわかった!森ってこうね。みたいな風にいいたがる人という印象。当時、リアル少女だった私が大塚英志の本を立ち読みしても、はっきりと違和感を感じたくらいだから、現在のリアル少女はどう思うのだろうか。またそれを信じていたりするオッサンや男が多いのはどうなのか。そして予想通りにそんなバカが多いのか。少女を買っておきながら説教するオヤジ像どおりなのか。はたしてそんなバカはいるのか。いないのか、とか。
他にも江川達也にも同じにおいを感じる。しゃべり場に出そうな人はなんだか全員、あやしい。きなくせえ。そのように語りたがる人はどんな得があるのかとか、気持ちが良くなっちゃってるんじゃないか?とか、いろいろ。
これは自らにも言えることだが、私はそんなわかりやすい快楽に流されるのはカッコワルイしモテなさそうなので、楔を打っときたいものだ。
そんなわけで、私は何か書くときは全部、自分自身の中の問題だったり、自分に対してのツッコミ(他人に言ってるように書くけど全部、自分に向けて書いてるのですよ)なので、涼しい顔して客観視ばかりを書く人の気持ちがわからないので知りたいなーと思うワケです。
関係ない赤の他人の気持ちをあれこれ想像して勝手に決め付けたがる評論家はなんでそんなことばっか気にするんだろうなあとか思うのだ。主観の部分がずっぽり抜けてて、客観だけに偏りすぎているのって、あたかも神の視点であるよと言っているみたいでその態度がどうも気に喰わない私である。自分にそんな要素が少しでもあると気が付くとヒヤリとするのである。一体、オマエは何様だ、と。常に客観と主観が入れ替わるのだ。