吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

小説 中華そば「江ぐち」/近所の秘境探検家・久住昌之

ISBN:4102901027
三鷹に実在するラーメン屋、江ぐちについて作者が勝手に想像した妄想の書。店員に勝手に「アクマ、タクヤ、鬼瓦」とあだ名をつけたり、その店員の人生やプライベートを勝手に想像して楽しんでいるお話。ラーメン屋は実在するが内容はまったくもってのフィクションであるという奇妙なエッセイ。ここで疑問なのは本が出ているにもかかわらず、まったく取材しないで無関係でいられるのか?という一点。この本は江ぐちの近くの本屋でも平積みされているくらい三鷹界隈ではポピュラーなものとなっているんですが、江ぐち自体はそういったうまくいけば宣伝材料に使えるこの本に無関心なのである。私も一度、江ぐちに行った事があるのだけど(山本益弘の本に惑わされて…)そんなことはついぞおくびに出していないのだ。
ホラ、よくラーメン屋って芸能人のサインとかべたべた貼ってお墨付きです!をアピールしたがるじゃあないですか。ひどいところになるとTVで紹介された映像をエンドレスで流しつづけたりして。しかもその店が店内、私語禁止!なんつって言ってたりするの。あるじゃないですか。ああいうあさましさがまったくないんですなあ。江ぐちというのは。そこに作者は店員のストイックな職人気質を感じ取って作者はスターを見るようなあつーい視線を送るんですけど、このキモチはすごくわかるなあーと思った。自分が好きなスターに自分というチッポケな存在に気が付かないで欲しいんですよね。孤高のスターがシロートと馴れ合うなんていや〜!っていう。いつまでも振り向かないスターでいて欲しい…そんなキモチってありませんか。私はあります。私生活なんて絶対、知りたくないし、私はそのスターが演出しているその夢物語が好きなだけで実はプライベートでは意外と子煩悩なんです!なんて知りたかないって話ですよ。そう考えると昔のスターはビっとした人が多かったですね。カリスマ性というのでしょうか。夢を見れる余地がなくなったらアイドルなんて必要ないわけで、私が今の芸能人にちっともときめかないのはこういうことが原因なのではないのか、と思っているわけですよ。バラエティ番組なんか片っ端からぶっつぶして行きたいし、Z級芸能人の日常や恋バナなんてよっぽどオモロク話す技術がない限りキョーミがわかん。
話が大きく脱線しました。もーどーしーてー、と。
江ぐちをネタに笑っていた作者側が本を出版することによって立場が逆転した、あとがきの内容などもう、読んでいてこっちも手に汗握るところがあって、ほんとうに楽しかった。まあ、江ぐちは私にとっても長らく近くの秘境であるため、感情移入が激しいだけだとも思うけど。中学男子のくだらないギャハハ感がつまっていてそんな青春の一こまに触れたい人にはオススメできる本でした。三鷹におこしの際はぜひ、江ぐちによってさりげなくこの本を読むといいと思います。きっとにやにやしながらオヤジがラーメンをつくってくれるでしょうよ。