吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

メジャーな食べ物が嫌いになりたい

嫌いな食べ物がないということに対して、私は負い目がある。人間的に欠陥があるのではないだろうかとか、節操なさ過ぎの食いしん坊じゃないの?とか、本当は嫌いなのに好きなフリをしているんじゃないの?自分、無理してるんじゃないの?と自問自答すること幾数度。問い正しても特にない。自信を持って言えるようなメジャーな食べ物がないのだ。
嫌いな食べ物トークで盛り上がる友人らを尻目にいつもつまはじき。居酒屋で「T君はきゅうりダメだからきゅうりが入ってるのはオーダーしないでね〜」と友人に気遣われ「別にええでぇ。きゅうりだけよけりゃ済む話やし。」とか言ってみたい。うらやましい…うらやましすぎるよ!そんな私が考えるメジャーな嫌いな食べ物を上げてみよう。
ピーマン、にんじん、セロリ、きのこ類、脂身、グリーンピース、香草、辛いもの全般、豆乳、牛乳、アボカド、納豆、ウォッシュタイプのチーズなど。改めて書いてみると、どれもこれもわりと好きな食べ物ばかりだ。私は人が嫌う食べ物が好きなのだろうか…。蓄膿症のにおいがするウォッシュタイプのチーズでさえ、うまいと思う。食べ物とは思えない味でも意外とイケル口。見た目がグロテスクなものとか逆に興奮する。鳥を絞めて解体するのもやったことないが全然、平気だと思う。鶏肉好きだし。
食べ物の好き嫌いと人間の好き嫌いは似ている、とよく言うがそれはなんだか納得できる。こんな私でも子どもの頃はものすごく偏食で全然、給食を食べない子供であった。幼稚園の時など、あまりに食の細い私にイラついたヒステリックな先生が私の口を無理矢理こじあけて、冷えた弁当のごはんをねじこませたことがあった。「好き嫌いすると大人になれないわよ!」あの時の朱色の箸の味まで覚えている。私は思わず先生の膝にゲロを吐き、それから二度と私は強制的に食べさせられることはなかった。勝った!と思ったね。
園児の私は深い理由もなく世界中の人間を憎んでいたし、嫌いな園児をすすんでいじめたり(しかもバレないように)、馬鹿にしたり*1で、根性の曲がりきった恐るべき子供であった。嫌いな人間だらけだから、嫌いな食べ物が多かったのかもしれない。食べること自体が嫌いだったともいえる。口の中でむごむご食べて、ごはんを飲み下すのがダメだった。咀嚼した食べ物が気持ちが悪かったのだ。おお、なんというデリケートさだ!園児の私!今の図太さを考えると想像できないが紛れもなく自分自身。人は成長するのである。
特にダメだったのが「ごはん」である。信じられない話だが、においと米の粒が舌にあたる感触さえも厭わしかったのだ。そんな私であるから小学生になった時、義務付けられた給食は苦痛でしかなかった。毎食毎食掃除の時間に残され(食べ終わるまで席を立てないシステム)掃除をしないで済むのは良かったが、ほこりのまった教室で冷えたまずい給食と向かい合いつづけなければならないのは拷問であった。あまりにも食べないため、うちの祖母が学校に呼び出しをくらい、毎回給食シーンを監視されるという屈辱まで受けた。なんで、保護者を呼び出したのか今となっては不明だが、先生は「あーら、吉田さんおばあちゃんが見ているとちゃんと食べられるじゃないの」と得意げであったが、その日出た給食がたまたま嫌いなものが少なかっただけであって、根本的な解決にはなっていないことは口が裂けてもいえなかったものだ。それからの私は給食袋に残飯を隠すようになった。帰りに近くの犬にあげたり、道に捨てたりして、日々をやり過ごしていた。で、その偏食、不思議なことに女の子の友達ができてからなくなっていったのだ。理由はわからないが、やはりコミュニケーションと偏食にはなにか関係がありそうな気がする。昔話が長くなった。話を戻そう。
一応、マイナーな食べ物なら苦手かな?と思える食べ物はあることはある。食べてみて「?」と首を傾げ、別にもう食べたくないな…と思った食べ物だ。何?知りたい?お答えしよう。それは…
イルカの肉、鯉、まんぼう、イギリスのパック寿司、麩の玉子とじ、つくしである。これでは居酒屋で「私、イルカの肉苦手だから頼まないでね!」とはなかなか言えない。しかも、それほど苦手ではない。多分、食べられるし、料理法を変えたら食べられるのではないだろうか?と思う。嫌いな理由を書いてみよう。何かわかるかもしれない。
イルカの肉・・・伊豆で食べた。背中の脂身をそのままで甘辛く煮たもの。作った地元の人も料理方法が良くわからないと曖昧に作ったせいでその場にいた全員が、手をつけず、猫の餌に…。しかし、猫もその肉についぞ口をつけることはなかった。
鯉・・・飛騨高山あたりの旅館で食べた。その旅館は汚い池を擁しており、そこから引き上げた鯉なのではないかと思い、気持ちが悪くて食べられなかった。味もどろくさく、何がうまいんだかちっともわからなかった。鯉の洗いは意外とイケると思ったので、鯉自体が嫌いなのではないのかもしれない。
まんぼう・・・お洒落な居酒屋で出た。のびるとまんぼうの小鉢。ブヨブヨとした肉でうまくもなんともない。同行していた人がしきりに不味がったため、食べているうちに自分もなんとなく嫌いになった。
イギリスのパック寿司・・・3日前の怪しい寿司。肝炎を患い最高に調子が悪い時に食べたため、嫌な思い出となった。押し固められたその米粒はぼそぼそと崩れ、ハーブの入ったサーモンは腐った味がした。食べ物として問題ありか。
麩の玉子とじ・・・料理が最高に下手な祖母が風邪をひいた私に無理矢理食べさせた一品。消化にいいなどと嘯いていたが、単純に麩の賞味期限がヤバかったに過ぎない。高熱でうなされる私にとんだ仕打ち。ムロン、吐く。
つくし・・・近所の土手で毎年取って喜んで食べていたつくし。ある年、その土手でつくしをつんでいる時、近所の犬が土手でおしっこをしていたのを見てもう、二度と食べまいとひそかに誓った。
以上である。こう書いてみるとシチュエーションにかなり左右されているように思う。自分がないのか。いや、そんなはずはないだろう。いや、そうかも知れない。どれもこれもパンチにかける食べ物ばかり。そもそも普段、食べる機会がないものだし、二度と食べたくなくても二度と食べられないものばかりである。こういうものじゃダメなんだ!ふだんづかいの嫌いな食べ物…そんな食べ物をこれからも探していきたい。ニフティの古賀さんじゃないけれど、私も嫌いな食べ物を探求したいと思う。これからも食べたことのない未知の食べ物に果敢に挑戦していこう。地味に誓う私であった。見つかったら報告します。みなさんあたたかく見守ってクダサイね!
宣言!嫌いなものハンター・・・私は今日から食の狩人になる!

*1:周りの園児が幼稚でバカに見えて仕方なかった。バカはいじめていいと思っていた。どこで覚えたのか知らないが、選民意識がバリバリあった。多分、前世に関係あるのだと思う