吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

スイス、チューリッヒ 4日目

朝食はかなりがっかりだった。しかたないのでインスタントのココアをがぶ飲みした。こんなことなら10スイスフランも払って朝食を付けるんじゃあなかったとしょんぼりする。
これは昼にリッチな食事をしないと気持ちのモトが取れないと思い、地球の歩き方をぺらぺら。今日、行く観光スポットをチェックし、自分なりにスケジュールを組んでメモる。
とりあえず、トラムに乗って駅まで出て、街中を散策しつつお金をスイスフランに替え、準備は万端だ。中央駅まで戻ると駅の構内に市ができていた。Sバーンの時刻表を見るとまだ、出発まで少しあったので、ぶらぶらと散策しながら物色することに。チーズ屋やらローストチキン屋や小さい屋台がたくさんあって見てるだけで楽しい。帰ってきたら何か買おうと決め、列車に乗り込む。少し、寒い。
見渡すとファミリーや老人、観光客っぽい人が多い。一人きりで列車に乗るのははじめてでじんわりと緊張する。
列車が走り出す。
車窓から外を眺める。景色を見ている。まるで世界の車窓からだと、ありきたりな感想を持つ。ありきたりな感想を持った私は迷わず「てれっててててててー」と世界の車窓からのテーマソングを小さく口ずさみながら、デジカメを構えた。このデジカメは動画が少しだけ撮れる。
ゆっくりとした勾配をのぼって行く。どんどんと徐々に外の景色が秋から冬に変わる。白く、雪が残っている。外はとても寒そうだ。のんきな駅に停車して、ひとりかふたりが列車から降りたり乗ったり。乗ったり降りたり。
20分ほどで終点のユトリベルクに着く。まあ、あっという間。
降りるとびっくりするほど寒くて驚き、腰のあたりにホッカイロを貼った。もうすこし防寒してこれば良かったかなと後悔しつつ、人が行く方向へ何の疑いもなく着いて行く。多分、あっちが頂上だろう。途中、トーテムポールのようなオブジェなどがあるが気にせず、ずんずんと。10分ほど山道を歩くとそこはもう頂上だ。
わりかし朝、早いせいか、人はまばら。レストランの従業員らしき人たちはクリスマスツリーの装飾に大忙し。その様子を尻目にチューリッヒの町を見下げる。見下げるという言い方もあれだ。見下ろす、ですね。
見渡す限り薄ぼんやりと曇った中に町が埋没している。おとぎばなしの国みたいだなと思う。私が今泊まっているホテルの近くの煙突が見えた。もくもくと煙がたゆたってゆらめいて消えていった。
こうやって見ているとなんだか失恋傷心旅行の一環のようだ。と思い、キョロキョロすると自分と似たような年頃の女性が同じように少し、思いつめた顔をして町を見下ろしていた。傷心旅行?と勝手に決め付け妄想を働かせしばし楽しむ。手すりも何もない山の道で、ふっと気を抜いて風にさらわれてしまったそれっきりどこかにフイと飛んでいってしまえるかもしれない。そうやって、落下していくつもりなのかな。
展望台がある。
それはただの鉄塔だった。
テレビ塔ほど大きくもなく、実に身近。貯水池の近くにある寂れた鉄塔のようだ。意を決して、階段を昇る。鉄塔の手すりの隙間から町がどんどん儚く朧に霞んでいく。3分の1ほど昇った、踊り場で少し休憩。そこからデジカメで写真をぱちりと撮っていたら、風がびゅうびゅうと吹きはじめ足元が掬われ、不安定に。ふらくらと眩暈。そもそも、無理だったのだと悟る。私は高所恐怖症なのだ。何を思ってこんな、鉄塔に登ったのだろう。気が付いたらもう、腰は砕けてしまって、握った手すりの手に脂汗がにじんでいる。それですべって、鉄塔の隙間から風にさらわれ落ちて死ぬんじゃないかと思いはじめたら怖くて仕方がない。怖いところが平気な人はきっと、想像力が貧困なのに違いない。冒険者は想像力が貧困だから死を恐れることがないのだろうと合点。私は冒険者にはなれないと合点。合点がってんしながら恐る恐る、階段を下りる。踏み外して死ぬんじゃないかと。死と隣り合わせで鉄塔を降りる。