吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

煙か土か食い物を読んでいて

http://d.hatena.ne.jp/solar/20041215#p1

せっかく文庫になったのだから、舞城王太郎の『煙か土か食い物』をまだ読んでない人は、ぼくの本なんか後回しでいいから、ぜひこの機会に読んでほしい。というか、『煙か土か食い物』と阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』と村上春樹の『ノルウェイの森』、それに舞城の『熊の場所』と吉田修一の『パーク・ライフ』をとりあえず全部読めば、ぼくの本なんてわざわざ読まなくても、「いま自分がどこにいるのか」という問題については、小説のほうで全部答えを出してくれている。ぼくが書いたのは、この件についてはすでに小説が答えを出している、という報告にすぎず、オリジナルな考え方だなんて少しも思っていない。

いや、世の中には偶然なんてないのかもしれないと錯覚しそうになるタイミング。ちょうど私は今、『煙か土か食い物』を読んでいて、仲俣さんに先日のお会いした時に本をいただいて、私は仲俣さんのコメントでも書きましたが『煙か土か食い物』を読み終わってから極西文学論を読みますと書いていて、このエントリーは今、あ、渦中の舞城だ!と、なんとなくさかのぼって読んでいた最中で、引用のところを読んで、驚く。結果が出てから経過をさかのぼっていて、まるで仲俣さんが予言したみたいに私はその経過を辿っている。こういうことがあるともしかして神様みたいなものはいるのかも知れないというか私はそもそもこのことをあらかじめ知っていたのだろうか、これが既視感なのかって、きしかんって言葉が一発でパソコンで出ないことにも驚く。読み方間違えて今まで覚えてきたのか?と慌てた。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B4%FB%BB%EB%B4%B6&kind=&mode=0&jn.x=48&jn.y=14
あと3冊もおもしろそうな本が読めることになって私はわくわくしてきた。私は小中の時のマイブームが村上春樹であらかた読んでしまったあと、なんだか小説なんて興味がなくなっていたのだけど、最近、猛烈に興味が湧いているところ。でも、何がよいのかわからなくて右往左往していたので信頼できる人にオススメされるままに読んでみようと思った。