吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

泥水とコーヒー牛乳の区別

子供の頃の話。

雨が降っていて、近所の団地の砂場のところに雨水が溜まっていった。溜まった砂場の雨水は泥水になってコーヒー牛乳そっくりの色になっていた。私は真っ赤な長靴を履いていた。私よりもずっと年上のおねえさんたちが嘘をついて小さな私に「これはコーヒー牛乳だから飲めるよ」と言う。コーヒー牛乳のような泥水を飲むフリを私の前で続ける二人を見ていた。両手ですくってごくごく飲むフリをしている。飲むフリだと私は本当はもう気がついている。気がついているのに騙されるフリをする。騙されているわけではない。騙されたフリをしただけだ。フリだったら上手に誤魔化せばいいのに私は本当にその泥水を飲む。飲んだ途端、おねえさんたちはすごいイキオイで駆けだして「わぁ!ホントに飲んだー!」とか口々に言いながらいちもくさんに走って消える。雨は段々激しくなって。雨のつぶは痛いくらい大きくなって。頭のつむじの部分に直接、雨垂れが落ちてくる。雨がざあざあ降っている。雨がざあざあ降っている。その先にずっと駆けて消えていく二人のおねえさんを見て私はその場に立ちすくむ。立ちすくみながら、ああ、こういう時は泣いた方がかわいげがあるのだろうかと少し思う。私はいつも感情を顕わにするタイミングを見事に逃す。トロイ。瞬発力がない。どっかでいつも自分が他人事のように思っている。
ざあざあ音がうるさい。雨の音だけがただただうるさい。それは耳にはっきりと聞こえる。ざあざあと。蛇の目でお迎えうるさいな。っと。

別にぜんぜん泣く気もなかったし、そんなに自分がかわいそうだとはその時はまったく思いもしなかったのです。ただ、口の中に残った泥の味を、すごくよく覚えている。ちっともコーヒー牛乳に似てもいないその味を今でもすっかりしっかり覚えている。飲めなくもない味だったと今でも少し、思う。