吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

ホリえもんは、新聞・テレビを殺しますのか

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
昨日の鼎談で「ホリえもんは吉田さんの意味のないオブジェ化した文章を読むべきだ」という意見があってそんときはピンとこなかったけど、これ読んでてどういうことか自覚した(笑)。なーる!

いやーツッコミどころ満載のインタビューですね。さすが江川紹子、紹介の「紹」が名前に入ってるだけあるっていうか。それまで私はホリえもんに関してそれほど興味がなかったけど、これはわかりやすい個性ですねと感心。ホリえもんは市場原理という名の神をあがめつかまつっているわけか。メディアを家畜化していくという未来絵図を描いてるのか。究極のギブ&テイクの世界。飼料の分だけ肥えるメディアという家畜を育てて屠っておいしくいただいっちゃおうって算段らしいよ。どうやら。
読んでいて援助交際の「買うほうが悪い」「売るほうが悪い」という責任転嫁な定例フレーズが頭を掠める。良識のある人間が分別して情報を提供するのが理想ではないのか?と、江川紹子が問えば、ホリえもんは「でも、今現在、良識のある人間なんていないのではないか?だったら市場原理の名のもとに判断を読者に委ねればいい。それでだまされようがだまされまいがそれは流行の自己責任」というものだとの考えのようだ。だが、未熟な人間に判断をすべて任せるのはどうなのかという疑問が残る。選べないやつは放っておけ。だまされるやつが悪いということらしい。一見、合理的で無駄のない仕組みに思えるが、長いスパンで考えるとあんまり賢い仕組みだとは思えない。なぜなら、恨みを買うから。また、そういうことをはっきりと意思表示をすることで反感を得やすいため、目的を遂行するための障害になると思う。

ホリえもんが旧メディアと斬り捨てる新聞やテレビの情報だが、その情報を鵜呑みにする人間がそれほどいるのだろうか?やっぱり多いのだろうか?そこはわからないので想像しかできない。が、どんな情報にもそこで書いている人間に感情があるのだから主観を排除することは無理であろう。システマティックに感情をノイズとして割り切ることができるほど人間の考えは単純ではない。むしろ金にならないゴミやノイズにこそ価値があると信じたいしそのほうが精神衛生上ずっと健やかに過ごせる。感情がないロボットだったら良かったんだけどねー。どうも人間の行動原理は感情なんていう甘ったるい不確定な部分に拠るところが多いみたい。結局。

どっちにしろ、人が気にする情報にすべての価値があるとは思えない。ノイズはどんな場所にも必要だ。必要なものを必要なだけしか知らない世界では情報や考え方が画一化し、新しいものは生まれることはない。世界は無味乾燥としたものとなるだろうとなんか、自分の内なるオヤジが私に言いに来たので報告。つーか、私はむしろゴミやノイズが大好きだという感情によって動いているンだもんね。じゃなきゃオブジェ化した文章なんて書かねーし、音楽なんてやんねーよ!!!

そう思うと、ホリえもんには音楽や文章で圧倒的に感動したという経験がないのかもしれない。圧倒的に感動させる何かがホリえもんの世界にはないのかもしれない。経験がなければ共感はできないし、理解できないのかもしれない。なんかからくりサーカスに出てくるオートマーター(人形)みたいですね。それはそれで悲しいことですね。世界はほんとうはもっと色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味なんですよ?

逆リンク!>http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050214#p02
essaさんに誉められた!ふつうにうれしい。冷遇されてないじゃん!私!とモチベーションを上げてみる。ワイワイワイワイ!