吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

10年前にオトシマエをつける。

もう、こりゃあ10年前と決着をつけなくてはならない。そして、私が当時どれだけ愚かであったのかをみなさんに白状。若気のいたりを公開することで後悔しつつ、これからイベントだの音楽だのブログだのなんだののなんかやりたいかもと思う人たちの勇気になればということで。ほんと、今、イベントやってた日付みたらちょうど10年前だよ!すげーな。そんで、文体ですが、微妙にアーティスト気取りな部分が鼻につきますが、基本的に今とあんまり変わらないように思う。第一人称が吉田アミってのが相当バカっぽいすねー。
別にたいしたことをやっていたわけではないですが、変わったことや新しいことをしたいしようと思っていたことは本当です。自分の観たいもの聴きたいものがなかったのであーなってこーなってあんなんなっちゃってたんですよね。まあ、ちょっと10年前の自分のシャドウを殺します。ですか。嘘です。自己統合でもしときます。抱きしめてあげましょう。昔があって今があるわけで、ヤング達は若気のいたりという言葉を手に入れてバカになってください。私もそのバカの中にいたいのです、いつまでも。
なんか、こうやって昔自慢つーか昔語りをした時点でバーのマスターみたいであれなんですが、これを書いたのさえもすでに6年以上前のことですから。お許しを。ただ、今、発表するのはオトシマエをつけたいってのと、なんとなくパッと出てきてパッとうまいこと行ったみたいに言われますが活躍されてると妬まれるような人は常に苦労なんか実はしてたりして。そういうのを言わない方がカッコイイんですけど、こういうのもなくて何となくなると妄想しているだけではいけませんので4月から学校に通いはじめる子たちへ向けてエールをこめて。
では、以下をどうぞー。これ、長いので3回に分けますよ。一回目。

序曲

その昔、REMというのがあった・・・。

 時々、昔やっていた事を尋ねる人がいる。
 「吉田さんREM企画もうやんないの?」そうである私は数年前までREMとゆーレーベルを主催しており、そこでイヴェントを企画していたのであった。
 REMというのは私が三鷹に住んでいたとき知り合ったRちゃんとはじめたレーベルで主に自分らの音源をテープにして世に送り出す為に作ったレーベルだった。知り合った機掛というのがまたいろいろと長くなる話でそのへんはここではとりあえず保留させていただく。
 当時、パリペキンという今となっては知っている人も随分いなくなってしまったレコ屋が健在しており、そこには今、音響派(笑)なんつって活躍してるアーティストの作品がたいてい手に入っていた。東京でちょっと変わったことをやっていた人は類は友を呼ぶのかみんなここに集まっていた・・・という感じである。
 主に、ここにテープを置いていて、100円で作品を売ったり(テープ代より安い)して月に何本かテープをリリースしていた。私らが精力的にテープを作り続けていた時、佐々木敦氏のUNKNOWN MIXが店内で確か月一で行われていたり、週一でユタカワサキのテープがリリースされ続けていたり、タケ(DUB SONIC)が変なコーナーを店内に設けていたり、Wrkの角田さんの作品が天井からぶらさげてあったり、何故かいつも行くと中原さんがおり、レコードの棚を壊したり、虹釜さんが死にそうな顔をして自分にしかわからないやりかたでジャンル分け(鉱物系とか)整理していたり、とても刺激的だった。
 そこで出会った人とは未だに交流を深めている人が多く、同じ釜の飯を喰った同志のような感じである。
 さて、そこでせこせこテープを出していた私たちであったがテープを出すだけでは面白くない、ここはいっちょ自分達が面白いと思える人を集めてイヴェントをやろうと思い立ったわけだ。
 それがその後、2ヶ月に一回のペースで行うことになるイヴェントシリーズのはじまりだった。
 その時、私はライブハウスなるものがものすごく嫌いだった。なんでライブハウスが嫌だったのかというとライブハウスの色みたいなのに染まる感じがものごっつう嫌だったのだ。ステージと客席という断絶みたいなのをまざまざと感じさせられ、飲みたくもないドリンクを飲まされるし、ライブがつまんなくっても帰れない感じがするというのが。ライブハウス=劇空間(大爆笑)な感じで。
 大体、自分が好きな音を出している人はライブハウスには出ず宅録オンリーな人が多かった。1999年現在ならCDリリースっていう手段もあるが当時はCDなんて夢のまた夢。おいそれとCDなんって幾らおぜぜがかかるんですたい?みたいに思っていた。で、パリペキンでせこせこテープ出したり、KURARAやロスアプにテープ持っていったりしてたわけだ。テープなんて所詮、10本やそこらしかリリース出来ないわけで、一部の人に売れた後はリリースを続けない限り忘れ去られるばかりなりけり。
 反応が分からない・・・いや、反応がない・・・。
 じゃあ、ライブをやろう。それがよかんべ。みたいききたいと思ってる人もテープだけじゃよくわからないといってる人も本人が出てきて音を出す場所があればきっと来てくれる。そこでみたひとに直接、色々、きいてもらって、広がればいいではないか。それにイヴェントに出た人同士、仲良くなって音を作りコラボレーションするとかいった出会いの場になるんのではないか?宅録で一人こもってやって外の人との交流もなく鬱屈としていかない為には刺激のある場を!みたいに大袈裟に思っていた。
 ただ、それには今までのようなライブハウスの悪しきノルマ制ではアーティストがついてこない。っていうかノルマ払えねえよ、私が。ライブハウス付の客っていう厄介なのもいるしな。あのライブハウスでやるのは何々系とかいうのってなんとなーくあるしな。
 そうゆうジャンルで括られるとみーんなノイズになってしまう。
 それは、まずいまずすぎる、と。で、フリースペースだったシアターPOOでやるようになり、そのうちファクトリーが出来たことが大きな原動力となった。ってファクトリーでは2回しかやってへんのやけど。
 最後にやったキッドにしてもステージというものが存在せずに、客に近いところでできるのはとてもいい。やる側というのもやる以前にリスナーであるわけだし、今日はここでも明日は観客だというところにいるわけだ。それがたいそう大仰な様子で音を拝聴させてやるぜーっという有り様はどうかと思ったわけだ。同じ視点で同じ音をリスナーとしても自分の音を聴いてライブをやっていたい。多分、出てくれた人はその言葉を理解して(企画書にそんなよーなことを書いたのだ)出演をオッケーしてくれたし、個人的に友人の人とは時折、そんな話をしていたし、もともとそう思ってる人が多かった。
 とにかく自分が好きな音楽のジャンルがあって好きな音がもっと人に知らせることが出来てかつ、なんかへんなひとくくりにされないよーなとこがないかと模索していたわけです。私が割と精力的にやってた頃にイヴェントをやろーなんて人も少なかったし、自分自身がそれを観たかったし聴きたかったし、なんとかしたいという熱い意味もなく熱い情熱があった。
 で、なんかやってるうちに私のやつみてはじめましたーなんていう人も現れたり、イヴェントを評価してくれる人も出てきて、やって良かったなーって思いはじめたのですが、そのうちイヴェントやる事の方が自分がライブやることよりも重要な感じになってきて本末転倒とはこのこと!っと気が付き、それと同時に体調がぼろぼろでストレスでぎすぎすしてきて、私だってふつうの女子のように蝶よ花よとやりたいわよコンチキショウ!洋服買う金をイヴェントに投入してまでやることじゃねーよ、モテねーよこんなんじゃあ。それに10代ならいいけどあんたこんなことを20過ぎてまでやるの?もう若気のいたりじゃみんなゆるしてくんないわよ、この段取り悪すぎ女!ちょっとちゃんとやんなさいよ、大体、もう、たくさん人をだしゃーいいってのも終わったでしょ?とりあえず、そこそこみんな興味を持ち出してるし、わざわざつめこみまくって世間に紹介するなんて時代は終わったんじゃー!!!こないだ観たイヴェント、客は少なかったけど出演者は2人でゆっくり見れたし、好きな音を1時間続けて聴くことが出来たんだよ。自分のイヴェントはあれなんだ?せいぜい長くて30分、ぎっちぎちでセッティングやリハーサルも満足にやれないしその上、人数多いから一人頭のギャラが少ない!そのうちまじ、アーティストから総スカンだぜ、アミ公さんよぉ。
 と、気が付いたのでやめたのでした。アーティストがイヴェントやる場合はスタッフをちゃんと確保するか、そのイヴェントに本人が出ないことにしないと(無論、余裕のあるいイヴェントだったら問題はないのだかえれど)、かなりきびしいものがあります。どっちも中途半端になってしまいがちだからです。あんな無謀なイヴェントを続けたのは若かったからだというだけのなにものでもありません。
 けれどああゆうことをやったおかげで出会えたり、一緒に音を出すことが出来て本当に嬉しかった。いろんな人と音を出してみたいけど機掛や場がない…というフラストレーションも随分解消できた。それにリスナーがいる、というのが目に見えったのも良かった。音を出すのはライブハウスだけじゃない。普通、音を聴きに外に出ないよう人も、みききしに来てくれるようになったのは嬉しかったです。
 多少でもなにかの機掛になったのだったら、いや、機掛になったと言ってくれる人が一人でもいたのだから若気の至りの暴走もやらないよりはやって良かったのだと今は思います。やった後悔よりやらないでいた後悔の方が少ないもんねー。でも、もうやんないけどさ(笑)。まっしろに燃え尽きたよ。