吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

今年は

いろんな人に会っていこうという裏テーマで過ごしている私ですが昨晩はサブカル牙城狂乱の花見に参加しほぼ初対面の人と何故か朝まで六本木でカラオケというあり得ない状況でたいへんおもしろおかしかったです。私の人生にまた一つエグみという隠し味が加わりさらにわけがわからないものがグツグツ煮込まれつつあるように思います。

idで呼び合ったりするという現象にぶちあたりましたが、現実にあんなことがあるんですねえ。しかし、私がいかに人のサイトを見ていないかが如実にわかりました。idで呼ばれてもわかりません。上のヘッダの色でしか識別していません。それよりももっと記事単位でしか知りません。書き手を意識して読んでいるサイトというのは実はすごく限られているのかも知れません。

最近、本や雑誌というのはそのメッセージを届けたい人に向けて工夫されているので100人が100人知っていることを書いてもしょうがないんだなという当たり前のことに気が付く。もし、その雑誌や本が自分にとって合わないと思うならきっとそれは自分に向けられたメッセージがない、と感じるからだろう。ネットと違って雑誌や本は売れなくてはいけないというしばりがあるとか考えるけどだからといって万人に向けてアピールしても雑誌の個性が表れるわけでもないし雑誌の個性がでないということは届きたいところにメッセージが届かないということになるので過剰なくらいにカテゴライズしやすいようにわかりやすいようにしたほうがもしかしてアタリなのかもしれない。キャッチーな部分で釣ってそれ以外のほんとうにつたえたい毒を盛るくらいのほうが効果はありそうだ。不意打ちとタイミングだ。ただ闇雲に天井知らずに売れればいいものでもないだろう。誰にも振り向かれないのもアレではあるがそれは伝える努力が足りないということで私のメッセージもどこかに届いているのでしょうか。そもそもメッセージなんてあるのでしょうか。すべての誰かの目に触れるものは誰かに向けられたメッセージだとは思いますがメッセージがないというメッセージもあるので注意が必要です。

桜はとてもきれいでした。
これだけいっきに満開になるというのも今まで見たことがなかったのでほんとうに大地震でも起きるのではないかと疑って、タナの上に飾ってあるアルスエレクトロニカでもらったトロフィーを下に置いたりしてビビっています。

完全にアウェイな状況であったのですがアウェイでも楽しもうとすれば意外と楽しめるという例ではあったので今後もドンドンとあんまりボーダーライン自分で決めないでわけわからなくするよう進んで飛び込んで行こうと思います。お会いできた方、どうもありがとうございました。楽しかったです。